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希望とかいうものに追われて生きてる

舞台に仮面ライダー、それから映画を観ている。
前に書いた「映像作品が苦手」というのが嘘のようだ。私に足りていなかったのは時間だったのだと思い知らされる。それか余裕か。どちらにせよ、自分には心を落ち着けて何かをする時間がなかったのだと思う。
常に何かに追われていた。格闘ゲームでも、MMOでも、それ以外のことでも。

格闘ゲームに何を追われるのだと言う話。
どちらかとこれはライバルに負けたくないという気持ちが大きい。ライバルと言っても私が勝手に認定しているだけで(ここまで書くと少年漫画みたいだ)、相手はどう思っているのかわからない。けれど、同じぐらいの実力だと思っていた人が、あっという間に強くなっているのを見て、何も思わない、と言うわけにはいかない。
もっと上達しないと、と思う。
実はそのほかにも、ある程度の階層に行ったら焼肉を奢ってもらえるという約束があるので、早めに肉を食べたい気持ちがある。邪だけれど、こういう極端で単純な気持ちが上達に繋がることだってある。理由はなんでもいい。何かをやるモチベーションになるのであれば。
それから自分の中で一番熱いコンテンツなので、どんどんやり込みたいのだ。そういった気持ちが今日も格闘ゲームをするモチベーションになっている。
上手くやらないと上達しないというのはきっと本当だ。だから今までの自分を振り返らなくてはいけないな。

格闘ゲームの話、自分に凄まじい対策をしてきた方々がいて、自分の力が底をついているわけではなかったこと、感動をしている。
いわゆるキャラ対や人読みの領域の話だと思う。「勝てなかったからすごい対策をした」と言われてとても嬉しくなった。普通に戦うだけでは自分に勝てないと思われたこと、研究をする時間を割いてくれたことがとても嬉しい
先日大会に出て思ったのだけれど、自分には座学が足りないと思った。実践だけではない、振り返りやそのキャラクターを知るという行動がまだ足りていない。
そんなことを言えば、自分のキャラクターのことだって上手く言語化できていないことに気づいて、なんとなく悲しくなる。もう一年ぐらいやっているのに。まだまだポテンシャルがあるはずなのだ。やれるはず。でも引き出せていない。別にキャラクターに自我があるわけではなく、操作する私がどうにかしなければいけないのだから、研究が必要だ。
昔から勉強はそこまで得意ではなかったことを思い出す。波に乗れば大好きに変わるけれども、早く実践をしたくてたまらなくなる性分だった。これが格闘ゲームにもよく出ている。むずかしいはなし。

映像作品についての話に戻る。
どうやって時間を割いているのかわからなくなったので振り返ってみると、風呂上がりの身体のメンテナンス時間や、それこそ湯船に浸かっている時間。それからpcに向き合っている時間、何もしたくない時間にぼーっとしながら観ていることがわかった。
食事をしながら観ると油断して口の中を噛む事件が多発したのであまりできない。噛み合わせが悪いというか、顎関節症でめちゃくちゃになっている顎なので信用をしていない。歯医者でこの前作ったマウスピースもなかなかの擦り切れ具合になっている。
常にイヤホンをして何かを聞いたり見たりしている妹の気持ちがようやくわかってきた。大量にあるコンテンツを少しでも多く消費しようとしているのだな、と勝手に解釈をしている。私と違って彼女は大量のユーチューバーが好きなはずなので、日々投稿される動画を追うので必死なのだろう。確かインスタライブも見ていたはず。どういう体力を使っているんだ。
本腰入れて、観るぞ、と思うのは映画館や舞台ぐらいにしておきたい。気楽になれる、リラックスするというのは大切だ。非日常を必ず体感しておきたいわけでもないし、没頭した瞬間にビビッと切り替わるぐらいがいい。お、この作品は気合い入れなきゃいけないぞ、とか思えるぐらいがいい。

MMOのことを書いていないのを思い出した。
いや、あれは本当に時間を食う。何せゲームの他にコミュニケーションという下敷きも存在している。ソロコンテンツが豊富にあるとはいえ、何かをマルチで体験するというのが、MMOの基礎なのだから。ソロコンテンツとマルチコンテンツを行き来するだけで、相当な時間を要する。
両方のコンテンツのことを嫌いではない、同じぐらい好きというのが幸いしている。どちらも苦なくやれるのは一種の才能のように思う。一人でやり続ける限界にも、多人数を必要としない感覚にも適応できるのは嬉しいことだ。
けれどMMOの本髄はコンテンツでもなく、遠いどこかの誰かとぐだぐだ話すことだと思っている。何かをしながらダラーっとしたり、何もしなくてもベラベラ喋ったりする時間が至福とも言える。たまにスクリーンショットを撮るぐらいでいい。
前にMMOとソシャゲの違いについて書いた論文を読んだことがある。ソシャゲはいわゆる人脈はミッションを達成するためのもの、MMOの人脈はコミュニティのためにある、と書いてあった気がする。もう論文の名前も覚えていないからあやふやだけれども、実際その通りだと思うのだ。一長一短、どちらも楽しめている自分がいる中で、さてどうしたものかと考える。今日はどっちをやろうかな〜だなんて、結構贅沢なんじゃないだろうか。

日々暇というには忙しい身だと思うのだけれど、どうなのだろう。
職場を辞めて一ヶ月半が経過する。どうにかこうにかこの先のことについて家族と話すことができ、長期に渡る休み時間を手に入れることが成功した……と思う。目下、お金の問題だけは心許ないのだけれども。
何もない日々だと思っていたけれども、散歩をしたりスケジュールを見直したり、ゲームについても忙しく、何かをインプットする・鑑賞をする楽しみを覚えることができたので、満足している。今は文章に関するスケジュールを用意していて、これがこなせればさらに満足すると思う。もちろん、このnoteを書くことだってその一つだ。
やれることがまだあることは希望だ。
希望を絶やさない努力もあるけれど、希望を見つける努力をしたい。
スケジュール管理をして、遠い数ヶ月先のページにボールペンを走らせること。その幸いを覚えていたい。

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