連休の魔力
連休は素晴らしい。そもそも休みというものが素晴らしい。
夜は限界まで起きて、朝を超えて昼に起きることの妙なかったるさを感じる。気持ちがいいな、といつの間にかついていた冷房に感動をする。適当な冷凍食品を漁っては食べ、適当に好きなことをする。
この素晴らしさに気づけないのは、ナンセンスだと思う。
大前提、起きることが不得手なのでゆったり眠れるというのはかなりのアドバンテージになる。
起きてからすることはあまり決めていない。起き上がってからのルーティンである洗顔と歯磨きとを終えると、どうしようかな、と思いながら水を飲む。やることはあるけれど、どれもしっくりこないから適当なことをしていることが多い。いや、やることの順位はついている。今すぐじゃなくていいというだけで。
やることを整理しながら食事をして、また血糖値が上がったりなんだりしているうちに眠たくなって、そこで眠ってしまってもいい。それが休日の醍醐味だと思う。
しかも今回はそれが二日連続である。やることも行く場所もあるけれど、フリーな一日があるというだけでじゅうぶんだと思う。
ここ最近忙しさに追われていたのでこんなにのんびりしてもいいのだろうか? と思う瞬間はある。
けれど忙しすぎるのも問題なのだ。追われて生きることの窮屈さは時として超常なエネルギーを生み出すことがあるかもしれない。でもそれはエナジードリンクと同じような一過性のものに過ぎず、しかも命の前借に間違いがないから、危険なのだ。
だからこうやってじわじわ体力を回復しながら、けれどしっかり休む時間があるべきなのだと思う。
今日は既にゲームをして、眠たくなって、いい気持ちでいる。
夜にはさらに文章を書いて、多分また別のゲームをするのだと思う。
気分がいい。こうして生きていければと思う。労働の隙間で平穏、もしくは休日のオアシスを実感しながらまどろみと一緒に生きていく。
労働は嫌いじゃない。いいスパイスだと思う。
そもそも仕事が嫌いではないからこんなことが書けるのかもしれないが、仕事で窮屈な思いは比較的していないほうだと思うのだ。日々支えられて気持ちよく働いている方だと思う。成長もじわじわ感じながら仕事ができているので実感としてもよい。
問題は私生活の方なのではないか? と思い始めている。超常的なエネルギーの使い過ぎ。エナジードリンクを飲むなと日々言っている身だけれど、私は自分を鼓舞するかたちでそのエネルギーを得てしまっている。やる気の出しすぎ。そのせいで本末転倒なことになるのも忘れてやっているのが、思えばひどいことをしているのだと思う。
実際に仕事に悪影響が起きているので、忙しさというものはよくないのだと感じた。ああ、そうだね。何事もゆったりなほうがいい。
けれど自分のスケジュールを見る限り、この今週どれだけゆったりと、しかしせわしなく動かくかで今後が決まりそうだった。
ので無理なく消化していきたいと思う。まあ、どうにかなるでしょうの精神で、今日も無理なく過ごしている。
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