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代替品

愛より執着だ。
愛なんてわからない。

自分の愛のかたちなんてものを、大抵の人は考えない。そもそも輪郭のないものに線引をしようとしていることがナンセンスだし、センスがあるならとっくに誰かはが目を輝かせて飛びつくだろう。センスがあるとは人を引き付けることを言う。
まじまじと愛とかいうものについて考えたとき、自分は奉仕だとかそういうものにてんで興味がなくて、返礼品のように感じているとさえ思った。奉仕行動、誰かに愛を捧げる権利。けれどそれに応答がなかったら、とても嫌な気持ちになるじゃないか。
ギブアンドテイク。だから当然のように私は返すし、与えるのかもしれない。

昔失恋した頃に勢いでエッセイを書いて、受賞だか、掲載だとか、そんな話になったことがある。
勢いで書いたので何も内容を覚えているわけでもなく、その連絡が来た際に読み返してオエッ……となったのも同時だった。どうにかこうにか失恋の痛みをキラキラ文章に置き換えて、消そうという魂胆が丸見えだった。
多分、誰かに消費されたかったのだと思う。消費されて、あの誰かを好きだった日々を無意味な時間にならないようにしていた。でも、それは悪手だった。
結局のところ、恋なんてものはスピードと行動の世界だと思う。先に何かしたほうがいい。それはどんな話でも同じことだ。
ただ私にはスピードも行動も足りていなくて、ステータスとしての恋人が欲しかっただけ。

ステータスとしての恋人というのは、端的に言うと免罪符になる。
飲み会の帰宅時間、残業、結婚しない理由、お金を貯める理由。様々な龍になって、それは免罪符にもなれる。
私は都合のよい理由が欲しかった、のだと思う。

ただそれだけなのか?

それだけなら、恋人に変わるものを用意すれば良い。この世のものは大抵代替品が存在する。けれど、それは嫌だと言うなら、それはもう執着の領域だと思う。
執着はわかりやすい。これでないという理由が明確で、流されない。茶化されたときに真面目に物事を見極められる観察眼もそのままにできる。愛より、執着だ。執着は愛の代替品だ。ギラつかない瞳をスナイパーの如きそれで必ず捕食しようとする、執着。

私は私の好きになった人を手放したくないし、そばにいてほしいとも思うし、看取ってほしいとも思う。
でもそこに恋人はないし結婚もない。先なんてない。ただ好きという執着が込められているだけのような気がする。ナルシストかもしれない。誰かを好きな自分が好きなだけ。その異様さはもしかすると理解されないかもしれない。でもそれでいい。私はひっそりと執着し続けるだけ。

愛なんてわからないから、執着とする。
愛の代替品だなんて、適当なことを書く。
本当に何か、恋人だなんてステータスを得た日にはきっとこのロジックは崩壊する。わかっている。でもそれだって執着が愛に置き換わっただけだ。
そこに愛はない。似た執着があるだけ。

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