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我天啓を得たり

久しぶりに降ってくる感覚に出会ったので記しておく。

降ってきたのは小説の書き出しだった。
ここ一週間ほどプロットを練りに練っている最中のものだった。練っている最中というか、正しくは早く書きたいけれど書きだしが浮かばないものだった。
書きだしが浮かばない時には、もういっそのこと書いてしまえ(それが納得できないものだとしても修正はできるのだから)という気概でやっていくのが普段の私だったのだけれど、今回ばかりはそうはいかなかった。謎のハードルがあった。
ものを面白く書こうとすればするほど難しくなる。逆に言えば、難しく考えすぎないことが創作の成功方法だと思っているのだけれども、今回は何故か難しく考えていた。というのも、いい意味で期待をされていたからだ。「これどこで読める?」という感想(プロット・構想段階における)は、かなりのプレッシャーになりつつも、心構えとして最高のものだった。絶対に面白くして読ませてやるからな! という捨て台詞まで吐いた。ノリに乗っている。乗りすぎている。
そういうわけで、今回だけは書き出しに時間がかかったという話なのだ。

作品を最高のものにしたいというのは創作者であれば誰しも思うことなのではないだろうか。
私は年に同人誌を何冊か出しているけれども、失敗はあれど最高以外になったことはないと自負している。どの本も私にとっての最高が詰まっている。それは失敗たページや表現があっても補えるものだと思っているから、そこまで気にしたことがない。
しかし誰かに約束(捨て台詞)をしてしまった以上、気概としてそうであっても、自分がどれだけ最高のものを創り出してきたからと言えど、その相手にも伝わる最高でなければならない。自分にとって、ではなく相手も舌を巻くレベルにしなくては、と思う。
だから書き出しがずっと思いつかなかったのではないかと考えている。妙なプレッシャーに負けずにいたい。まあそのプレッシャーだって自分で自分に枷をつけたようなものだけれども。
決して、感想をくれた人を呪いたいわけではないが、他人のいい感想ほど次回作に与える影響は大きいと思う。次も伝わる作品を書かねばならない。自分を抜け出して他人に伝わる、というのは厄介な忙しさがそこにはある。

まあ、そんなこんなで書き出しがずっと浮かばなかったのだけれども、偶然仕事中に降る感覚を得たので、ことなきを得た。
ぼうっと何かに集中している時に過ぎる小説の情景に、文章がつらつらと書かれていく。執筆中でもなかなか味わえない、ゾーン的なものに驚いたし、それがあまりにもしっくりと来る文章だったのにも驚いた。
あとはメモをするだけだったのだけれども、仕事中だからすぐにはできず、呪文のように唱えながらお手洗いに駆け込んで小説を記した。たったの100文字にも満たない量だったけれども、このたった数行、数文字のおかげで書こうという気持ちにさせてくれたのは大変ありがたい話である。
おかげで昨日の作業で1000文字までそれを膨らませることができた。おそらくこれは何万字かの話になるので、これから先が思いやられるものではあるけれども、進歩は進歩なのだ。

降る感覚は実に面白い。
いつやってくるかわからないのに、その前兆というか、波のような来るぞ、という宣告がはっきりと見えるのが私の降る感覚だった。あ、来るな、と思ったその日のどこかに突然やってくるし、来ると理解した瞬間にぱあっと視界が晴れて何もかもを解決することだってある。
左右できないからこその醍醐味がそこに当然あるのはもちろん、降ってきた天啓に振り回される感覚も奇妙でいい。まあ、これは大体がプラスの要素に向かって進んでいっているからだと思うけれども。

小説の書きだしが決まったので、今度はじっくり中身を書く手番になる。
それすらもおそらくは降ってくるものに左右されて、そのおかげでじっくりと練ったプロットが一気に瓦解することもあるのだろうが、それはそれで良い。
でもまあ、先に締め切りを倒さないといけないので、また少し先の話になってしまう。
友人に「旅行に行こう。旅行先で原稿をしていてもいいから」と言われた日が面白くてずっと擦っている。いやまあ、私はただの同人作家だけど。

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