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永代和盛の囲碁人生 Ver.7 (運動会)

院生手合開始その後

院生手合開始から、半年ほどが経った。
院生の成績はDクラスの真ん中くらいまできていたが、そこから伸び悩んでいた。
それもそのはず「遊び虫」が本領を発揮して囲碁の勉強はほとんどしていなかったからだ。

学校→放課後は友達と遊ぶ→夕食→卓球→お風呂→テレビ→詰碁が睡眠薬→ご就寝(詰碁開始から10分かからない)

平日は大体がこんな感じだった。
さらに意識が低い永代少年はとんでもないことをしていた。

運動会

クラスメイトと仲良くなって調子に乗っていたのかもしれない。
秋の運動会で応援団のを一緒にやろうと友達から誘われたのだ。
六年生の応援団は二人で、団長か副団長をしないといけない。
そこで副団長を引き受けてしまったのだ。(団旗を持って振る役)

運動会があるのは日曜日。
必ず院生手合がある曜日だ。
少し考えれば分かること。
しかし、院生に入って初めてのことだったので、全く気付かなかった。
というよりも、基本的にあまり考えずに生活している永代少年らしいミスだった。

勿論、普通の家庭なら「学校イベントの日くらいは院生手合を休めばいいではないか」と言いそうなものである。

ところがどっこい、ここはプロ棋士を目指す為に存在している「院生」だ。
ここは賛否両論ではあるし、時代によっても変わるとは思うが、覚悟の本気度が高ければ高いほど、学校イベントには行かないだろう。

当時は時代も時代であったし、さらに院生寮に住んでいて院生手合を休むとは何事かというのが、院生内の常識だった。

事態に気付いた永代少年が周りの院生仲間に相談しても「そんなのは運動会を休む一手」以外の声は聞こえない。子供同士で気を使う必要はないからだ。

途方にくれた永代少年は寮長、寮母さんに相談する。寮長、寮母さんはこう話してくれた。

「そんなに行きたいなら運動会に行けばいいよ」

普通はこう言われたら、事実上の「休んだらクビ」宣告だ。
でも、今回は違ったと思う。

永代少年は真面目に囲碁をやっていないので、どうせ棋士にはなれないだろう。
そうであれば寂しい思い出を作らせないようにしてあげよう。
色々と経験させてあげたほうがいい。

あとで思うと、そう考えてくれたに違いない。
寮長、寮母さんは厳しいだけではなく、個人に合わせた対応を重視してくれる人だった。

院生手合を休むなんて、院生としてはあるまじき行為かもしれないけど、それが永代少年にとっては良いことだろうと真剣に考えてくれたのだと思う。
その先もいつも、寮生の事を考えて動いてくれていた。
本当に感謝の言葉しか出てこないご夫婦だ。

(囲碁人生で猛烈にお世話になった方々の中に入るお二人である。
ちなみに長崎の師匠二人を含めて3組目。4組いる)

このお二人のおかげでこの先の寮生活もそんなに苦でもなく、続けられた。(これしきの覚悟で院生を続けていいかどうかは別問題として)

しかし、永代少年も環境に流されやすい性格でもあるし、院生のはしくれだ。何も考えていなかったが、さすがに院生手合を休む重大さには気付いていた。

しかし、今さら応援団の副団長を降りるというのも言いづらい。時期的にあと二週間くらいで練習も半分くらい終わっていた。こっちはこっちで迷惑がかかる‥。

そうこうしている間に、どちらにも何も言い出せずに運動会の前日になった。

永代少年の心は揺れていた。
運動会にそのまま出掛けてしまうか。
それとも当日の朝に熱が出たという仮病でも使って運動会を休んでしまうか‥。

ずっと考えていたが、そのまま朝になった。

そして‥。

運命の朝

永代少年はどうするのか‥。

そして、カーテンを開けて外を見ると‥。

ミラクルが起きていた。

「外は雨が降っている」ではないか!

その結果、運動会は延期となった。

しかも、延期は水曜だったので院生手合を休むことなく、運動会にも参加できた。

つくづく運の良い男である‥。

ちゃんちゃん。


補足

ちなみに、もし雨が降っていなかったらどうしていたか・・・。
おぼろげに記憶があるのですが、不確かなので記載はしないことにします。気になる方は永代まで直接、お聞きください。

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