人生の幸せとは ~ Vol.6 ~ 「ボランティアを考える」
前回はこちら↓
「ボランティアを考える」
私はボランティアというのは「打算や偽善」がほぼ多勢を占めていると思っています。
中には本当に、純粋な気持ちだけでボランティアをやっている方もいると思います。でも、それはほんの一部だと思います。
ボランティアは社会貢献をすることで「自分の心を満足させる行為」だと思っているからです。
要するに「自己満足」です。
無償で働いたから、感謝してくださいよというのはボランティアではなく、ただの「感情の押し付け」です。
相手からしてみたら「頼んでいないのに・・・」となることでしょう。
お金を上げるからやってみない?=仕事
お金は出ないけどボランティアでやってみない?=精神的な充実
だと思っています。
どちらも自分にとっては有り難い事なので、相手に感謝から入るべきなのです。
自分が感謝した後に、相手から感謝をもらえたら最高ですね。
大震災などが起きたときのボランティアを考えてみます。
勿論、ボランティアスタッフの皆様は困っている人に貢献したいという気持ちで活動すると思います。
でも、その裏では、
こんなに困っている人がいるのに、自分は遠く離れているからって何もしなくていいのか?
こんなに楽しい生活をしていていいのか?
などという罪悪感は、ないでしょうか。
正直なところ、私の場合はそういう罪悪感をすごく感じます。
なので、震災が起こる度にチャリティーイベントを開催するのです。
私は「困っている人の役に立った」という思いで「罪悪感を消したい」と思っているのだと思います。
どう考えても自分の為ですよね。
それと反対に囲碁のボランティアで、感謝を押し付けるような行動をしている人に出会った事があり、嫌な気持ちになった事があります。(ごく一部ですが)
無償で「教えてやってる」から威張っていたり・・・。
無償で「教えてやってる」から相手の気持ちを全然考えなかったり・・・。
「~~してやっている」というのは、感心しません。
残念ながら、そういう風に教えていると逆に囲碁を辞めていく人が多いでしょう。(実体験は数回あり)
「~~してやっている」と思うのであれば、満足する対価をいただきましょう。
それが精神的な充実ではないなら、お金でももらえばいいのではないでしょうか。
そんな人にお金を払いたいと思う人は少ないと思いますが・・・。
ボランティアって何の為にするのでしょうね。
皆様にも本当の心の中をよーく考えてもらいたいです。
本当の最後に。
こんな打算を考えずに、本当に人の為になることだけを考えている人は本物です。
生まれ持った才能か、それとも何か強烈なインパクトのある出来事を体験した人か。
何はともあれ、います。
世の中の課題に立ち向かっていき、見事に解決していく人達。
結果的に「ただの付属」として地位や名誉を得ていきます。
本物は地位や名誉が一番の目的ではありません。
これまでの話に全て共通してくる話です。
私はそんな本物になりたいです。
今後は動画配信に力を入れていきます。 永代囲碁塾は囲碁に関することなら何でも活動しています。 囲碁アイドルも永代囲碁塾でプロデュースしています。