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雑誌「吹奏楽」

 雑誌「吹奏楽」*1は、「吹奏楽月報」*2と「バンドの友」*3の2誌が合併して、1941年(昭和16)12月から月刊誌として発行されました。その後、第二次世界大戦の戦況に対応するため内閣「情報局」の命令により1943年(昭和18)10月号(第三巻10号)、通算23号の発刊をもって廃刊となりました。国立国会図書館デジタルコレクション*4では創刊号を除く22号全ての内容を確認することができます。
 この雑誌では毎号吹奏楽曲が付録*5となっていて、27曲の各パート譜等(吹奏楽15曲、ラッパ隊2曲)が確認でき、当時の編成を垣間見ることができます。
 全ての曲を見ると、使用楽器はもちろん楽器名の表記も統一されず編成は標準化されていないことがわかります。この付録楽譜を実際に読者が使用する際には、指揮者や演奏者に事前の準備が必須であったと思われます。

《メモ》

* 1960年(昭和35)頃まで使用されることもあったD♭ピッコロがこの時代一般的に使用されている楽器とは言えず、25曲中1曲だけにD♭フルートとペアで使われるのみです。
* E♭バリトンが1曲のみで使われていて、他のパートと異なる動きを演奏しています。
* ピッコロ20曲、フルート22曲ですが、吹奏楽25曲ではどちらの楽器かが必ず使われます。
* オーボエ13曲、バスーン4曲で、必須ではありません。
* アルトサックスとテナーサックスが同時に使われているのが11曲で、アルトサックス単独が4曲です。
* B♭クラは吹奏楽25曲の全てにパート譜があります。 
* コルネットあるいはトランペットそしてアルト(ホルン)・バリトン・トロンボーン・打楽器は25曲全ての曲で使われています。
* ユーフォニアムは22曲、バスは24曲で使われていて、必須ではありません。
* それぞれの曲は、15〜21パートに分かれていますのがユニゾンもあり10人〜15人程度で演奏可能*6だと思われます。

楽器名の表記

*1 戦時下の紙不足と言論統制のため、「情報局」がそれまでの音楽雑誌の統合を命令し、12月から編集人を佐藤香津樹が、発行人を目黒三策が担当して新雑誌が発刊された。 
*2 「吹奏楽月報」は、1933年 (昭和8)に目黒三策が創刊した季刊「ブラスバンド」/月刊「ブラスバンド喇叭鼓隊ニュース」を1936年(昭和11)改題した雑誌。「日本管楽器(ニッカン)」の宣伝や「大日本吹奏楽連盟」の機関紙としての役割を果たしていた。(「吹奏楽」3巻10号P.9)
*3 「バンドの友」は、1937年 (昭和12)に田邊勝三、後に佐藤香津樹が発行していた雑誌。田辺管楽器(タナベ)の宣伝や「大日本吹奏楽報国会」の機関紙としての役割を果たしていた。(「吹奏楽」3巻10号P.9)
*4 国立国会図書館で収集・保存しているデジタル資料を検索・閲覧できるサービス
*5 雑誌に様々な付録がつくのは明治時代に始まります。筆者が付録楽譜を確認した最も古い雑誌は、銀座山野楽器が1912年(明治45年/大正元年)に創刊した「月刊楽譜」(ピアノ譜)です。なお、「吹奏楽月報」や「バンドの友」そして「ブラスバンド」に付録楽譜があったのかは未確認です。
*6 第三巻二號の「朝だ元気で」は21パートありますが、ピッコロ・フルートとオーボエとE♭クラと1クラはユニゾンでメロディー担当、バスとユーフォニアム(バリトン)はユニゾンとなっていますので最低15人程度での演奏が可能と考えられます。

《付録楽譜の楽曲名とその編成》


       
                 writer Hiraide Hisashi

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