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地域を眺める視座のはなし

友人の大学生が、「久々に実家に帰省したら、地域があまりにもさびれていてショックを受けた。こういった過疎地域のビジョンをどう描けばいいのだろう」と、凹んでいました。

その問題意識はとてもよくわかります。私も同じように感じる機会もありますし、そのたびにへこんだりします。

そんな悲しい気持ちは、しかし意外なことに、その地域に深く入れば入るほど、和らいでいくように感じます。このギャップはどこから生じるのか。今日はそのあたりを書いてみようと思います。

1.人口の減少と暮らしの見えかた

かつて10,000人の人口がいた町が、〇年後に1,000人になったら、そのまちに暮らす人の生活や活動の総量は10分の1になります。我々が外からその街を見るとき、まずは失われた10分の9の喪失感に思考と感情を占領されるリスクがあります。(大切なのはそこに残る10分の1の人たちの暮らしであることを、論理としては理解していながら、、、です。)

私はこのリスクを逓減するために、「人口の増減に合わせて焦点を調整する」ということを意識するようになりました。

100人の町と、1,000人の町と、10,000人の町では、動きの見え方が違います。人数が多ければ多いほど、何もしなくても地域の人の動きは見えてきます。逆に、人数が少なくなると、目を凝らさないと暮らしが見えてきません。(乱暴なたとえですし、エリアあたりの人口で考えるべきですが)例えば100人の町では、できれば1週間くらい滞在しないと、その町の人たちの暮らしのリアルが見えてきません。10,000人の町では、半日あるいて、公民館やスーパーに出入りする人数人から話を伺えば、なんとなく地域の暮らしが見えてきます。

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人口が減っていく地域に対して、過去の焦点のままで地域を見てしまうと、ぽっかり空いた空白ばかりに目がいき、そこに残るものに焦点が合わなくなりがち。

2.焦点を調整するということ

私は人口減少のただなかにある地域にお伺いするときは、出来るだけ目を凝らして、そこにある暮らしに焦点を合わせるようにします。そうすることで、必要以上に悲観したり、楽観したりすることが無くなります。

まずはしっかりと地域にピントを合わせて、そこに暮らす人たちの喜びや豊かさ、問題意識や危機感を感じること。まずはそこから、すべてが始まるのではないかなと、最近は思うようになりました。

例えば、その地域の地元の方々が日常使いしている温泉や図書館などでじっくり過ごしてみること。

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例えば、その地域の居酒屋や食堂で地元の人と話をしてみること。

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例えば、その地域のお祭りやイベントの準備や後片付けのお手伝いをしてみること。

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そんな一歩踏み込んだ込みユニケーションを通すことで、人口減少によって失われたものと、今でもその街にのこるものと、が見えてくるように思うのです。

みなさんは、久々に帰った故郷の人口減少を感じたとき、どんな風にその地域を見ますか?


この記事は、NPB(九州地域間連携推進機構株式会社)のメルマガ記事を一部加筆したものです。こんな感じのメルマガを読めるのはNPBだけ!


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