事業は生き物だと考えてみる
私はここ10年ほど、鹿児島を舞台に各地でお仕事をしている。
主な仕事は、各地で、小さな最初の一歩を踏み出そうとする人を応援することだ。(方法はそれぞれ。広報だったり、資金調達だったり、組織づくりだったり、官民連携だったり、さまざまなスタイルがある)
現場で経験することの1つに、そういう人の挑戦の火を消す声がある。
「それって、稼げるの?」
「稼げないと、続かないよ?」
というもの。
特に、その地域で影響力の強い人から発せられる言葉だ。公務員の方とか、教員の先生方とか、議員さんとか。
ほかにも、「それってスケールするの?」「KPIが見えない」系のものとか、「だったら●●さんに通しておかないと」「これは●●が反対するから無理」系のものとかもある。あとは、「それは〇年前に、●●がやってダメだったから、やめといたほうがいい」とかも。
彼らが「その人のためを思って」発するその言葉によって、勇気を振り絞って踏み出した一歩を、慌てて止める人もいる。
この構造を、どう受け止めてよいか。
ちょっと考えてみた。
1.「お金を稼げないと続かないよ」という人の気持ち
お金がないと続かない。それは、挑戦しようとする人の行く先を案じて発する言葉であることが多い。
もしかしたら、その言葉を発する本人も、かつて自分の取り組みがお金の不足によって頓挫した経験をもっているのかもしれない。または、自分の大切な誰かが、お金の不足によって事業継続が難しくなっていく様を間近で見ていたのかもしれない。
その気持ちには、嘘はないと思う。
けれど、私はそのメッセージに、挑戦者の意欲を削ぐ以上の前向きな効果があるようには思えない。
2.事業の終わりとはなにか
私自身、これまで大小さまざまな事業に取り組んできた。中には今に続くものもあるし、その役割を終えたと判断したものもある。場合によっては、お金や、人材や、時間や、様々な資源が不足したことで泣く泣く継続を断念したものもある。
それら一つ一つの事業を取り出して、その成否や、是非を議論したいわけではない。
全ての事業は、期限と資源と目的、この3つを抱えている。期限の無い事業は無く、資源の無い事業もなく、目的の無い事業もない。この3つのいずれかが無くなると、事業は終わる。
それ以上でも、それ以下でもない。
人はいつか必ず死ぬ。同様に、期限・資源・目的の3つを事業の要素とすると、すべての事業には終わりがある。
まずは、そこを受け止めることから始めよう。
3.事業が終わった先に、残るもの
何かしらの事業を動かすと、人が動き、資源が動く。その中で人は学び、資源は増減する。
事業が終わっても、人には経験が残り、始める前とは違う形で何かしらの資源が残る。(例えば借金が残るとしても、それは負債という形で資産となる。※この辺は貸借対照表上の話だけれど、資産は資産だ。)
もし、目的が不変で、期間や資源が問題であれば、形を変えてまた別の事業が生まれ、その時々を生きる人々によって目的達成に向けた挑戦は続いていく。
ここで、最初に取り組んだ事業を事業A、その終了の先に新たに生まれる事業を事業Bとすると、事業Bは、事業Aによって生まれた成果や課題を受けて生まれることになる。
事業Aは、見ようによっては事業Bの前世ということもできる。
場合によっては、事業Aの背景にも、その前世にあたる事業Cがあるかもしれない。そして、事業Cの前世には、さらにその前段として事業Dがあるかもしれない。。。
時系列で書くと、事業D⇒事業C⇒事業A⇒事業Bという感じ。この場合、事業Dは事業Bの前前前世ということになる。
そう考えると、地域における様々な取り組みには、まさに前前前世というものがあるのではないかと思うようになってきた。
4.この事業を終えた時に後後後世に向けてどんなものを残せるか
事業を生み、その目的達成に向けて走るときは、まず「現世でどれだけの成果を出せるか」「いま目の前で課題を抱えている人たちに対してどんな解決策を提示できるか」、を考える。
もちろん事業が、お金や、ネットワークや、コミュニケーションや、人材や、社会情勢の変化などによって、継続できなくなることはある。
けれども、そこで生まれた動きは、必ず何かしらの影響を、人に、地域に、組織に与える。
特にお金が原因で事業が続かなくなることは少なくない。けれども、金は天下の周りもの。自分たちの代ではお金が生めなくても、経済は常に変動し、社会環境も変化し続ける。
それは自分の代かもしれないし、後世かもしれないし、後後世かもしれないし、後後後世かもしれないけれど、その挑戦は、いつか誰かに引き継がれると信じて、私たち世代も走り続ける必要があるのではないだろうか。
お金がない時代に生まれるプロジェクトは、知恵を生み、ネットワークとコミュニティを生む。
まずは限られた資源で、最初の一歩を踏み出す。
前世、前前世、前前前世の事業と、そこで挑戦した人々の努力をくみ取り、自分たちの代でもしっかりと土を耕して、その先の事業(後世、後後世、後後後世)でさらに本質的な挑戦ができる環境を作っていく。そうやって、地域はこれまで発展してきたのではないか。
5.前世を想い、後世を想う
まちを想う人たちは、いついかなる時代にも存在していて、それぞれがそれぞれの時代で出来る限りのことをやってきた。
JC(青年会議所)も、各種お祭りも、地域通貨などの活性化策も、各地で生まれているコミュニティづくりも、いろんな取組があって、その生態系の中でいま暮らす我々がいる。
いま、ここで踏み出す一歩は、現世(今回の事業)では結果が出ないかもしれないけれど、ここで作るネットワークは後世(その次の事業)に引き継がれるものであってほしいと願うことはできる。
または、もしこの一歩がどこかで頓挫するとしても、そこで得られた知見やノウハウやネットワークを活かして、また違う一歩を踏み出せばよいと考えて挑戦することもできる。
つまり「事業は輪廻転生する」、と考えると、挑戦のハードルはぐっと下がる。
輪廻転生(りんねてんしょう)とは…
死んであの世に還った霊魂(魂)が、この世に何度も生まれ変わってくることを言う。ヒンドゥー教や仏教などインド哲学・東洋思想において顕著だが、古代ギリシアの宗教思想など世界の各地に見られる。(Wikiより)
6.事業が輪廻転生するとき、なにが起きている?
…ということで、事業の輪廻転生のプロセスを考えてみた。
まず、事業が終わるタイミングで起きるのは、概ね以下のようなことだ。
①お金が尽きる
②大きな関係性上の問題が発生する
③目的が見えなくなり目指す理想がボヤけてしまう
④関わる人が少しづつ減り実施が難しくなる
⑤地球環境や社会情勢上の大きな影響を受ける(コロナや温暖化、政治的な変化なども)
⑥目的が達成される
大体の事業は、上記のようなタイミングで、その寿命を迎える。
そして、輪廻転生する(一旦閉じた取り組みが違う形で息を吹き返す)場合、そこにはどんなプロセスが必要だろうか。
私自身の経験からは、下記の要素が必要であるように思う。
①時間⇒痛みを受け止め、省みて得られたものを確認する時間。
②目的⇒新たな課題や挑戦すべきテーマ
②核となる人や組織⇒意思を持った人物
③核となる人や組織を応援する人たち⇒応援者
④最低限のお金
⑤ノウハウや知識
①~⑥のなかでも、特に重要なのは、①ではないかと思う。
まずはちゃんと受け止めて振り返り、しっかり考え内省する時間が必要だ。
その後、核となる人が現れ、その人や組織を後押しする人たちが生まれる。そこから小さな活動のうねりが起きて、お金やノウハウや知識が集まりながら、新しい事業が育つ。
7.事業と生態系
冒頭で「お金を稼げないと続かないよ」という人たちの話を書いた。
彼らは、事業の輪廻転生を信じられないということではなかろうか。
事業の停止がその時点での文字通りの「完全終了」だと思ってしまうと、それによって損なわれるものは思いのほか大きい。
まず、終了した事業が何をもたらし、これからにどんな可能性を残したかを議論する視座が奪われてしまう。
また、事業単体での成功/失敗に固執する立場は、失敗の記憶が呪縛となって次の挑戦への足かせとなる構造につながる。
まずは、事業を生き物としてとらえ、そこには輪廻転生があると考える。
そうすると、全ての事業は生態系としての組織や地域に影響を与え、何かしらの資産を残し続けるということに気が付く。
失敗や成功は、それ単体で見るのではなく、前前前世から引き継いだ何を実現し、この取り組みは後後後世に何を残したのかという観点で事業を省みる。
そんなことを考えながら、先祖のことに思いをはせる2020年のお盆である。
おまけ:前前前世 替え歌 地域プロジェクトVer
最後に、↑こんなことを考えながらRADWIMPSさんの「前前前世」を改めて聞いていたら、もう地域と事業の関わりをうたっている歌にしか聞こえなくなってしまったので、ここに替え歌の歌詞を置いておきます。
全国の同志に捧げます。。。
やっと眼を覚ましたかい それなのになぜ眼も合わせやしないんだい?
「遅いよ」と怒る君 これでもやれるだけ飛ばしてきたんだよ
事業が社会を追い越してきたんだよ
予算なくて友達に頼り続けたよ
同じまちに住み続けて生きていたいよ
遥か昔から知るその企画に
僕らの世代で何をすればいい?
君の前前前世から僕は 君を探し始めたよ
その健やかなビジョンめがけてやってきたんだよ
君が全然全部なくなって 散り散りになったって
もう迷わない また1から考え始めるさ
むしろ0から また地域を始めてみようか
合掌。
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