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ほんとうのことなんて他人にはわからない
他人のことってどこか幸せそうに見えてしまいがちですよね。
隣の芝生は…ってやつ。
でもほんとうはそうじゃない。
そんな場合もあるかもだけど、全部が全部そうじゃない。
どんな些細なことも、自分以外の他人のことは憶測だけで決めるもんじゃない、そんな話しです。
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この画像は今朝の朝食風景です。
そしてこう書いたとします。
「ひとつはクリームを塗って
もうひとつは、あえてプレーンで」
クリームがのっているのと、もうひとつはプレーン。
何ひとつまちがいではありません。
だけどどうでしょうか。
こんな短い文章でも読んだ人それぞれ、受け取り方がちがうものだろうと思います。
「一個が甘いから一個は普通に食べるのね」と。
別の人は、
「なんで塗らないんだろう…私ならふたつとも塗るけどな」と。
ですが実際には、ここから書くいきさつがあってこうなったことなのです。
ひとりふたつなのでどうせなら違う味を楽しみたい。
そう思いながら、昨夜冷凍庫から出して解凍しておいた4つの丸いパンをトースターで焼きました。
その間にスムージーをグラスに注いだりコーヒーを淹れたりして。
そうして5分ほど、きれいなきつね色に焼けたことを確認して、トースターの扉は一旦閉めました。
焼き上がったパンを取り出さずトースターの中に入れたままにしたのは理由があって。
ひとつは甘くするから、もうひとつはバターを塗ろうかなぁと思っていたから。
わたしが食パンなどをトーストしてバターを塗るときのこだわりは、ストレスなく全面にきれいに塗ること。
冷蔵庫から出したての、かたいバターが塗りにくことはご存じ…ですよね?
時折お菓子を作ったりするし料理に使うときも便利なので、200gの箱入りバターを10gずつにカットして冷蔵庫に常備してあります。
いくら小さい塊でも、冷蔵庫から出したてのバターは焼き立てのパンの上でそう簡単に溶けてくれません。
そんな状態なのに、人によってはグイッと押し付けパンの表面をゴボッとえぐるように塗りつける人いますよね?
アレ、いやなんですよ。笑
塗りひろげられないでアタフタしているうちにパンの表面温度はどんどん下がっていく。
最終的にパンくずにまみれたバターが転がっている状態に。
そう、わたしは固形のバターが苦手なんです。
バタークリームは好まないし、急に流行り出したあんバターサンドという存在。
大抵のあんこが粒ということもあるけれど、そもそもがバターを固形のまま食べることができないから。
あんバターがどれだけ人気だろうが、おいしそうに見えようが毎回スルー。
何が言いたいかって、溶けたバターの味が好きで、塗るときはスムーズなのが大前提。
なので焼き上がったらトースターの扉を開けて、10gのバターをパンにのせて扉を閉める。
余熱で溶けた頃合いを見て皿に取り出す。
表面がトロッと溶けて全体にやわらかくなったバターを難なく塗りひろげる。
今朝はバターを塗りたいとも思ったんだけど、やっぱクリームチーズだな…と気分が変わりました。
焼き上がってから少しの間トースターに入れたままだったんだけど、もうバターは塗らないからトレーごと外に出したんです。
冷まさないとクリームがダラダラになってしまうから。
カルディで買ったモンブランバター。
それに生クリームを合わせたものを塗り、もうひとつはクリームチーズと蜂蜜をかけて。
モンブランホイップを作り塗ったあと、クリームチーズを冷蔵庫から取り出しました。
前回塗ったときも微妙に怪しかったのですが、やたら水分が出ていたのです。
クリームチーズがもともと持っている水分なんだから混ぜてしまえばいいか、と1/3ほど使ってあったクリームチーズを容器の中でなめらかになるまで混ぜました。
するとあまりの水分量にパンに塗ることができる状態ではなかったのです。
えぇ…。
水切りしないと塗ることは不可能。
じゃあどうしようか。
今朝の気温は15℃くらいで室内はひんやり。
あっという間に冷えてしまったパン。
再度トースターで焼き直すのもなぁ…
いっかぁ、そのままで。
そんな流れでひとつはプレーンで楽しむことにしたのです。
ここまで書いてようやく見えたほんとうのこと。
言葉にして説明しない限り、まずわかりっこありませんよね?
これはあくまで生活の一部でどうでもいい話しだけど、短い文章の中にはそれを書く人それぞれの思いがある。
ほんとうのことは本人にしかわからないのに、他人のことをうらやんだり妬んだり、こうだからこうなんだろうと憶測だけで勝手に判断して決めつけてしまう。
浜崎あゆみさんの歌でこんな歌詞があります。
恋人たちはとてもしあわせそうに手をつないで歩いているからね
まるですべてのことがうまくいってるかのように見えるよね
ほんとうは二人しか知らない
これまでテレビやCDなどで聴いてきた数々の楽曲。
音源だけで感覚的に聴いていたけど、ある時この歌詞が言葉として心に届いたのです。
「確かにな」と。
幸せそうに見えていても、ほんとうのところは当の本人しかわからないことなんだって。
ほんとうの理由は閉ざして外に見せる顔はちがったりする。
リアルに人と会うとき、SNSに書き込むキャプションだったりで…。
憧れのまなざしで見ている分には何も問題はないと思う。
けれどそれが悪い方に転じてしまうとするなら、それほあなたの心が勝手にそう決めつけているだけなのかもしれない。
たとえ、うらやむほどの生活ぶりだったとしても、苦労している部分を見せていないだけかもしれない。
他人のことは見えていない部分がほとんどなんだから。
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