2023/09/04 自分のからだはじぶんでつくる

5ヶ月近くだろうか。最近、文章を書くことから距離をおいていた。それは、文章に触れることからも遠ざかっていたことを意味する。思えば、最近、何に触れていたのかを言語化することも難しいような、何かをしっかりと吸収していた実感はない。とりあえず、曲がりなりにも生きているだけで、幸いにも命を脅かされるようなこともなく過ごせている。

そんな自分が久しぶりに文章に触れた。2冊ある。『人生のほんとう』と、『暮しの手帖』である。久しぶりに文章に触れる面白さを思い出した。というのも、最近、住まいが変わり、テレビがない。最近までネットも開通していなかったので、本を読むしか娯楽がなかったのだ。

自分で選んだものを読む時間は、流れてくる情報を網で掬い上げるような忙しなさとは無縁の、ゆったりとした時間が流れるので、気持ちが楽である。自分であらゆるものを選択することは、その労力の分、疲労感はもちろんあるけれど、残らないことに気づく。

池田晶子氏の『人生のほんとう』は、穿った見方しかできない人は、さぞ、生きづらそうだなあと他人事のように見ている自分と、それを他人事としては見れない自分の両方がないまぜになり、たのしい。

さて、本当に書こうと思ったことにやっとうつろう。住まいが変わり、僕は台所に立つことが圧倒的に増えた。いまは楽しい。これから飽きてくるし、イライラもするだろうけど、現状は台所にいることを楽しんでいる。

なんでだろうか。台所を楽しんでいる自分は何を考えているのか。それは、自分のからだを自分で作っている実感にあると思う。作るのは僕。食べるのも、僕。僕が僕のからだを作っているということを考えると、その責任を楽しまざるをえなくなる。

そして、我が家の料理人は、同時に医者でもある。薬も処方できないし、手術もできない医者。唯一できるのは、病気にならない体を作るためにご飯を作ること。予防医学とはこういうことなのだろうか、とすぐに話をかたくしたがる。しかし、食べたもの以外で体を作ることは絶対にできない。食べるもので体はどうにでもなる。

『暮しの手帖』は僕にとっては医学書だ。薬学にも通ずるかもしれない。文学部を出た僕には専門的なことは何一つわからないけど、ただ、自分のからだに責任をもっていることははっきりと分かる。

筋トレをしている人は、筋肉を裏切りたくない、という。筋肉を愛する人は、それを中心に生活がまわる。正直、正気の沙汰ではないと思ったが、いまは少しわかる。ここまで食事と向き合っていると、他のことで裏切りたくなくなる。けど、同時に、たまに食べるアイスと、たまに飲むコーラの美味しさもより分かるようになってきた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?