2023/01/04 人に伝える勇気・受け取る勇気

多くの人と日々接していて、自分の意見をどのように、どの程度伝えるかは苦心する。全てを伝えるべきではないし、言いたいことをフィルターを通さずにいったら、お互いに苦しむ結果に落ち着くことは明白であろう。しかし、言わなさすぎても自分がどんどん負債を追うような感覚に襲われるだろう。

僕は今まで、本音をそのまま言ったことはある意味ではないかもしれない。相手との関係性や、向こうのクセ、性格に基づいて言いたいことではなくて、言うべきことを言ってきた。これが求められているかもしれないと思い、それを考えながらコミュニケーションをとることが基本である。
そのためか、他の理由かはわからないが、ありがたいことに多くの人とのご縁がある。交友関係が広い方がいいとは微塵も思わないが、いろんな方から気にかけていただき、優しくしてもらえたのはとても嬉しいことだ。
しかし、このようなコミュニケーションしか知らない人には問題もあると考える。

まずは、自分がどう思っているか分からなくなる。本音を求められる場面で沈黙してしまう。また、相手がどう思うかを考えても沈黙する。その内は、人から否定されることへの恐怖だ。明確な自己像や本音もないくせに、自分が自分でいることに抵抗感を示してしまう。いや、恐怖があるから明確な自己像がもてないのか。鶏が先か卵が先かという話に陥ってしまった。ただ、確かに言えることは自分がかわいくて仕方ない。そんな自分を変えようとはなかなか思えないものだ。

もう1つは、結論のない話が苦手である。前に述べた通り、僕は求められることを考えて言葉を選んできた。そこには、目的と結論があることが前提となる。だから、その前提がなくなると少し不安になるのだ。他愛ない話はもちろんする。たくさんする。でも、知らぬ間に、そこに対して、意味と次への教訓と、気づきを求めてしまうのだ。これはある種の中毒かもしれない。日常から学びを得て、シナプスがつながる感覚に強い快楽を見出している。

ここまで、相手に伝えることに触れてきた。だが、コミュニケーションは受け取ることも重要である。この受け取るのもまた、考えることが多いだろう。

まずは、相手が何をもって話しているかだ。結論が欲しいのか、単に受け止めて欲しいのか、あるいは叱ってほしい場合もある。それによって、どうするべきか大きく変わる。問題は、それをどのように察するかだ。
1番は聞いてしまうことなのか。無粋を承知でそのように動くべきなのか。それでしらけてしまうこともあるだろうし避けたい。これに関しては、ほんとうに分からないし、ここで答えを出すことはできない。

特に苦手な問題は次のこと。それは自分に都合の悪い話を聞くとき。例えば、恋人間で今後や今の自分たちについて話し合うときに、必ず自分への不満は出てくるだろう。それを受けとめる怖さは常にある。だから、日頃の行動も、相手に隙を与えないように振る舞うことを考えてしまう。何のために付き合っているのか分からない奇妙な話だが。
そして、1番みっともないのは、相手にそれを言われないように、話し合いの場でも、バリアを張ってしまうこと。これが本当にみっともないし、最低なのだ。このような防衛反応が相手を傷つけてしまうのだろうに・・・実は指摘される怖さと、モヤモヤと苦々しさはすぐに過ぎ去る。それを分かっているのに、その一瞬への怖さが勝る。本当に情けない。我が身がかわいい、が過ぎると本当に碌でもない。

僕は書くことによって、自分を知り、次に向けて考えるようにしているが、今回は本当にどうすればいいか分からなくなってきた。珍しく、文章を書いてからの方が困惑している。
大学院に通っていたとき、文章を分かった気になるな!と強く叩き込んでくれた教授がいた。その教授が言う、
「分からないから文章にするので、それがわかるわけはないんだよね。」
という言葉を思い出す。どんな文章も、考えも、実は書き手も、思考の主体者もよく分かっていないんだよね。
とりあえず、人とのコミュニケーションでは、その時その場の納得と、話してスッキリした、を大切にしよう。

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