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おかあさんの思い出:ロンドンデリーの歌

わが子よ 愛しの汝よ
父君の 形見とし

 ぼくが子どものころ
 母はよくロンドンデリーの歌を歌っていた。

 歌の内容は、アイルランドの旧家で、家を出て行ったまま帰ってこない息子を母親が一人で待っているという内容だった。

 夏の草ぶかい山道を歩きながら、その日も母はロンドンデリーを口ずさんでいた。

 子どもだったぼくは母に聞いた。

 どうして息子は家を出て行ったの?

 ざわざわと草をゆらす風に吹かれながら、母は微笑んで言った。

「息子はね、戦争に行ったのよ。アイルランドの独立のために。だから、帰ってこないのよ」

「お母さんはずっと待つのかな?」

「家の庭には草がたくさん生えてるのね。そのままじゃ家はダメになるでしょう? お母さんは息子が帰ってくるまで、強くなって家を守ろうと決心するのね」

足元の草より
たつは さえずるひばり

ああ、われも強く立ちいて
わが家のほまれ守らん

 母は最後のフレーズを静かに歌った。

 ぼくが6歳か7歳のころのことだった。

 母の認知症のことを聞き、妹に請われて、ぼくは一ヶ月間、母を介護することになった。

 思えば、ずいぶんと母とは離れていた。

 親子の宿命は、ぼくが9歳のとき、母がぼくを棄てたときから、さまざまな形で、ときにはぶつかり、ときにはちかづきながら、愛情と憎しみの間で、ゆらゆらと揺れながら歳月をかさねた。

 母はぼくを憶えているようで、そうでないようでもあった。

 家に着いたとき、母は普通にぼくを迎えたし、何もかもが普通だった。

 ところが夜になると、突然、ぼくに問いかけてきた。

「あなたは、だれなの?」

 すこしばかりは狼狽したが、ぼくは微笑んでしずかに母に答えた。

「あなたの息子だよ? 忘れた?」

 母はじっとぼくの顔を見つめると、静かに首をふった。

「あなたは息子じゃない。私には一人息子がいたのよ。もう、何十年も前に家を出て行ってね、帰ってこないのよ」

 ぼくはここにいるというのに、母は息子は帰ってきていないと思っている。

「こっちへいらっしゃい」

 そう言うと母は、寝室へと向かった。

 部屋のクローゼットを開けると、そこにあった大きな段ボール箱をよいしょと出してきた。

 そのなかには、いろいろな文芸誌や紙の束が入っていた。
 ぼくには見覚えのあるものばかりだった。

 母はそれを一つ一つ、取り出すとベッドの上に広げて、まるで宝物のように眺めてさすった。

「これはね、みんな息子が書いたもの」

 驚いたことに、母はぼくの書き物のほぼすべてを集めて持っていたのだ。
 文芸誌に冊子、論文、詩集……どこで見つけたのか不思議に思うものまであった。

「息子さんが書いたんだね」

 ぼくは一冊の詩集を手にとって、ページを開いた。そこには懐かしいフレーズが並んでいた。
 当の本人である、ぼくでさえもう持ってはいないものだった。

 母は曲がった腰を伸ばすと「ごらんなさい」と壁をさした。

 壁には僕が描いた小さな絵が額縁に入ってかけられていた。

「これもね、私の息子が描いたんですよ。いつだったか、送ってきてね」

「息子さんはいまはどこにいるの?」

 目の前にいるというのに、僕は調子を合わせるかのように、母にたずねた。

「息子は遠くにいるんだと思う。私はまってるんだけどね。あの子は帰ってこない」

「どうして、帰ってこないの?」

「私をね、あの子は憎んでいると思う」

 そういうと、母は寝室を出て行った。

 一か月の介護生活は、僕をすっかり疲れ果てさせた。自分の仕事を持ってきたものの、介護のために全く仕事をする時間はとれなかった。

 妹とも何度か話しあって、最終的には母を介護施設へ送ることになった。

 施設へ行くことは母は知らなかった。
 説明しても、母は覚えることができなかった。

 施設に入る前の日の夕方。

 母はベランダから夕陽を見るのが好きだったから、ぼくは毎夕、母をベランダへ誘っていた。

 ベランダから見るこの光景も母には今日が最後となるのだ。

 母としずかに夕焼けを見ていた。
 不意に母は僕に言った。

「私はね、私は、わがままばかりしてきたと思う。私は生まれてこなければよかったと思うし、息子も帰ってこないからね」

 そう言って、母はじっとベランダの柵から紫色の雲の方へ目をやった。

「そうじゃないよ。お母さんはね、生まれてきて、いろんな人に出会ったでしょう? おばあちゃんや、おじいちゃん、ぼくたちの本当のお父さん、そして今のお父さん。友だちだってね、いっぱい、いっぱい、いろんな人に出会ったでしょう?」

 母は黙って聞いていた。

「そんな出会った人はね、お母さんと出会っていっぱい思い出作ったと思うよ。そして、みんなきっと、幸せだったったと思うんだよね。たとえ、何か辛いことがあっても、いい思い出になってるよ」

「そうかな?」

 柵に寄りかかったまま、母はぼくを見上げた。

「そうだよ。お母さんはね、生まれてきてよかったんだよ」

「そうなのか、あの子が帰ってくるといいけどね」

「だいじょうぶだよ、お母さんと息子さんは、ずっとつながってるよ……」

 ぼくはロンドンデリーの歌を口ずさんだ。

わが子よ 愛しの汝よ
父君の 形見と

「憶えてる? この歌?」

「その歌は知ってるわ」

 母も歌い始めた。

 何十年ぶりだろうか。

 母とぼくは夕焼けのなかに暮れゆく黄昏のなかで、くり返して、くり返して、ロンドンデリーの歌を唄った。

 次の朝、母は施設へと旅立った。

 どれほど、ぼくは母を憎み、母を愛しただろうか。

 母はひどい人だといまも心のどこかで、ぼくは思ってる。

 でも、
 しずかに思い返せば、ロンドンデリーの歌を歌っていた、若き日の母の姿を思い浮かべる。

 アイルランド独立の戦いに出て行ったまま、戻ってこない息子を待ちつづける母親の気持ちを幼いぼくに語った母。

 母は辛い思い出をいくつも、ぼくのなかにおいていったけれども、母はロンドンデリーの歌の意味を語って聞かせるような、そんな思い出もいくつもおいていった。

 もう母の記憶のなかに、ぼくはないない。

 いまは、ぼくの記憶のなかに母がいるだけだ。

 もう、つらい過去を手ばなしたくて、母のことを忘れてしまおうと思い続けて、まぼろしの瞼の母を慕いつづけてきたぼくだった。

 母の記憶のなかにぼくはいなくても、ぼくの記憶のなかに母はいる。

 ざわざわと草をゆらす風に吹かれながら、母は微笑んで言った。

「息子はね、戦争に行ったのよ。アイルランドの独立のために。だから、帰ってこないのよ」

 心のなかで、ぼくは母の元へ帰ることができる。

 生まれてこなければよかったといた母は、きっと、忘れてしまうまでに、帰ってこない息子に

「ごめんね、苦労かけたわね」

そう言いたかったのだろうか。

 なんのめぐり合わせなのか、母と出会ったぼく……

 すっかり、忘れ去られても、ぼくは母の息子であることにはかわりはない。

「息子は帰ってきたよ、もう何もお母さんには思っちゃいないよ」

 あの草ぶかい夏の日差しのなかで
 母が歌っていた
 ロンドンデリーの歌

 最後に夕焼け空を見ながら
 ふたりで歌った
 ロンドンデリーの歌

 ぼくは忘れない。

そして、いま、母のもとへ帰ろう

おかあさん、ただいま

やっと、帰ってきたよ

また、いっしょにロンドンデリーを歌おうね



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