その5 小説家になりたい人へ 著作権エージェント夢野律子がお手伝いします
【エージェント業に過去の経歴は必要ありません】
説明会が終わり、律子と直美はレンタル会議室の後片付けをしていた。
「先輩。今日の説明会で会員はどのくらい入りますかね」
「経験上、半分は入る。でも今回は一ノ瀬さん効果で九割は会員登録してくれると思うは」
「有料ですかね」
「ゴールド以上は3人かな? とにかく売れっ子作家の一ノ瀬さんは呼び水に使えるの」
「やっぱスーパースターは強いですね」
「そういうこと。サッカー日本代表を三人しか知らなくても、見に行こうと思う人はいる。誰だって最初はミーハー。商売する側としては基本ウェルカムよ」
「基本?」
「物見遊山で本質を掴めず、自分に合わない理由を意識高い系な言説をネットで的はずれな文章を書く人物は来てほしくないわ」
「そういう人に限って、いくつものシナリオ教室を渡り歩いてそうですね」
「そいつは創作者に向いてないのよ。せいぜいネットで批評しているのが関の山よ」
「いろんなアイドルのライブを観るやつにも、そんなのがいましたわね」
彼女はアイドルのライブを見るのが趣味なのかしら、と思いながら律子は手を動かし続けた。
「金にならないネット評論なんで毒にも薬にもならないサーバーのゴミよ」
「広告収入があるじゃないですか」
「一つのサイトでどれだけ稼げているのよ。月収50万円以上の安定収入を維持できる動画配信者はもしかして将棋のプロ棋士よりも少ないかもよ」
事件や事故が起きた時、ツイッターの感想を無許可で都合よく集めたトレンドブログの収入はそれ以下だろう。
「そうですよね。あんな苦労知らず。先行者利益ってやつで、後から真似した人は微々たるものだと思います」
「トレンドブログをクリックした時の絶望感は半端ないいから滅んでほしいわ」
どれも憶測レベルや都合よく解釈する記事ばかり。有益な情報なんぞ無い。
片付けが一段落し、律子はスマホを取り出した。ドリーム・エージェントの管理サイトを開いた。無料会員のブロンズ会員が百人増えていた。
さすがは一ノ瀬坂道効果というところか。
「見て見て、直美ちゃん。会員がぐっと増えたわよ」
律子は悪巧みがうまく行ったような笑顔で直美にスマホの画面を見せた。
「そこからどのくらい有料会員になるんですか?」
「ケースバイケース。うちがエージェントした作品が売れると会員数はぐっと増える。こんな地道な説明会より、ホームランが出たほうが効果あるのは確か。サッカーに例えると、ちんたらと試合を見るより、チャンネルを変えた時にゴールシーンだったらインパクトが残るでしょ」
作家と交流する職業柄、何でも例えにしてしまう癖がついてしまった。女子高生だった頃は野球話で例え話する恋人にうんざりしていたのに。
律子は片付け作業を続けた。
そして会社に帰る足も行きと同じ個人タクシーだった。直美が手配したものである。
「なんで個人タクシーなの?」
「この個人タクシーはミニバンスタイルだから広々としていいじゃないですか」
「ゆっくりできると言えばゆっくりできるけど」
「どうです? 『できる女は個人タクシーを使う』っていうビジネス書は」
「そうねえ。『なぜ、仕事ができる女は個人タクシーを使っているのか』というタイトルにして、どこかの編集プロダクションに売り込もうかしら」
本の企画は出版社だけではなく、下請け組織のような編集プロダクションも
担当している。特にビジネス書や「これ一冊で分るギリシャ神話」みたいな本は、出版社の下請けである編集プロダクションの企画が多い。
「先輩が書くんですか?」
「直美ちゃんが書いたらどう?」
「嫌ですよ。本て、十万文字は必要なんですよね」
「ビジネス書だと五万字で十分よ。余白を多めにして、『思いついたことはメモ書きして読み返ししましょう』みたいな一文を入れとけば、本の体裁が取れんのよ」
「本当は一冊の本に仕上がらないから、余白だらけにしたということですね」
「理解が早くて助かるわ」
社長はいい人間を採用したな、と感心しながら律子はタクシーに乗り込んだ。
行きは気にしなかったが、タクシーの運転手は30代後半ぐらいでナイスミドルな顔つき。津子の好みな顔だったので、行きの時に下品な会話を少し恥じた。
「それにしてもこの業界に入って気づいたんですけど、うちの会員数やネット小説の会員数は下手すりゃ百万人は超えているのに、どうして本は売れないんですかね」
クソみたいな社会評論家なら、という言葉が出そうになったが、律子はタクシーの運転手を意識してぐっとこらえた。
「社会評論家の先生方はスマートフォンや映画などの気軽なコンテンツに時間を割いていると言っているけど、本が溢れているから選ぶのに困難なのよ」
「あー。分かります。音楽フェス行くより、ワンマンライブのほうが行きやすいですね」
どうやら直美は音楽に話を例えるタイプのようだ。
「そうそう。いろんなバンドが出る音楽フェスがあるけど、全部見るなんて不可能だし、知っているバンドや歌手ってどのくらいるかって話。お目当てのバンドの前にやるバンドで新しいのを知るけど。コアな音楽ファンなんて半数以下。多くは目当てのバンドだけでしょう」
「先輩。話がずれてますよ。本が売れない理由ですよ」
「あ、ごめん。無論、スマホに時間とお金を使うのもそうだけど、音楽業界と一緒。特定のジャンルが流行ると、次々と似たようなものがデビューする。同じ物ばかりで新しい物を発掘する気がない。消費者から見捨てられてCDが売れなくなった現象に似ているのよ」
そのカウンターとして、インディーズバンドが支持され、今ではインディーズバンドが大型の野外フェスを主催するぐらいまで変わった。メジャーデビューが音楽の成功ではなくなった。
「でも音楽は全国各地で起きて盛り上がっている気がしますが」
「一理あるけど誰もが知っているバンド、宮部みゆきや東野圭吾のようなバンドっているかしら?」
「んー。いると思いますけど」
「でも仮に握手券付き小説でも売って売上ランキングに名前がよく出ても、世間一般の人なんて小説家の名前なんて覚えないわよ。直本賞や芥山賞、ブック屋さん大賞を受賞した小説家をスラスラ言える?」
直美は無意識に腕を組んで首を傾げた。
「……言えないですね。紅白でも常連でもない限り、数年出なければ忘れますね」
「でしょ。で、話を戻すわよ。CDが売れない理由は音楽業界が他社の真似ばかりしてオリジナルをおろそかにしたけど、小説もそれに近いのよ」
「でもうちのサイトの無料会員だけでも20万人を超えているんですよ」
「端的に言えば『小説のカラオケ化』よ」
直美は「あー」と声が出て腑に落ちた顔になった。律子の頬が緩んだ。「小説のカラオケ化」はパワーワードとして気に入っている。
「誰も人の作品なんか読んじゃいない。それなのに小説を書きたがる人口が多い。パソコンの普及やブログの一般化とか言われているけど、そんなんじゃないわよ」
「えー、そうだと思っていました」
「日本は古くから万葉集や古今和歌集など、天皇から下っ端の防人の歌まである。小説を書きたがるのは国民性よ」
小馬鹿にした口調が出てしまい、律子は少し恥じた。イケメン運転手じゃなければもっと下品な言葉で小説家志望者をけなしていただろう。おにぎりを食べて心を落ち着かせたい。
でも、イケメン運転手の手前、じゃなくて手後ろ(?)。それはできないな。
下品にならない話題を考えていたら、スマートフォンが鳴った。相手はドリーム・エージェントの原田社長だった。助け舟に見えた。
「もしもし?」
「どうしたんすか、社長。軽井沢から来たんですか?」
大手出版社役員は東京の高級住宅住まいか、軽井沢のような別荘地住まいであることがよくある。同族企業なので、仕事ができる社員が出ると現場にその人物に任せるのが多い。
役員なので、週に二日ぐらいのペースで事務所に来る。ドリームエージェントの社長もその口である。それだけ会社が大きくなっている。
「さっきまで箱根の温泉宿で過ごしていたの。それで今日の会員数でゴールド会員数を調べたら五十人も増えているの」
「そうなんですか!」
客寄せパンダのつもりで一ノ瀬を呼んだが、そこまで効果があるとは……。
今日は大漁だ。
「なにか悪いことをしての?」
律子は「うふふ」と笑った。
「一ノ瀬さんに会場に来てもらったせいかもしれません」
今日の説明会の出来事を話した。
「なるほど。じゃあ、これからの説明会には毎回一ノ瀬さんに来てもらおう」
「ダメですよ。そうなるとテレビばっかり出ている、本を書かない作家になる恐れが出て安っぽく感じます。あくまでも一ノ瀬さんのスケジュールを基準にしましょう」
「そうだね。それで一ノ瀬さんが不機嫌になって代理人契約を破棄したらもったいないし」
「そういうことです」
「じゃあ、会社で待っているよ。会わせたい人がいるから社長室に来て」
電話が切れると、律子は電話の内容を直美に話した。
「それもあるでしょうけど、先輩のマシンガントークに効果があったんじゃないですかね?」
「百回以上こなせば客層によって言葉の雰囲気を変えるから、それもあるかもね」
律子は得意げになって言った。落語家も客層によって演目やイントネーションを変える。
「分かります。アイドルのライブの客層も雰囲気によって、微妙にパフォーマンスを変えて新規の客をゲットしますから」
「そうなんだ」
「先輩は昔からマシンガントークが得意だったんですか?」
「最初の職業で『説明がうまい』ってよく褒められたから素質はあるんじゃない?」
他人事のような口調だった。
「最初の職業はなんですか?」
「電力会社の下請け企業」
「そこで何をしていたんですか?」
「電力会社の説明のパンフレット作りと案内係」
「てっきり美顔マッサージ機を売るような人だと思っていました」
「……地味に傷つく言葉ね」
そんな言葉が出るなんて、昔の直美はキャッチにホイホイついていく女だったのか?
「私は小学生や老人の集まりの説明会でよく褒められていたから、聴衆の顔を見て言葉を変えるのが得意みたい」
「それにしてもどうして電力会社の下請けを辞めたんですか」
「私の出身地は新潟なの」
「ああ。恐竜の形をした県ですか」
……そんなふうに覚えるなんて。静岡県だと「金魚の形」とか言いそうだ。
「人間よりも家畜が多くいて、高校を卒業したら公務員になるのがエリートコースの場所」
「何となく分かります。沖縄も米軍基地で働けるのがエリートですから」
「だから大学進学なんて眼中になかった。公務員か電力会社に就職するために勉強していた。五人兄弟だったから家には大学行く金もなかったし、上の二人の兄が役所勤めと電力会社で働いていたから全然疑問を感じなかった」
しかし採用試験に落ち続け、兄のコネを使って電力会社の下請けに就職した。
は言わないことにして話を続けた。
「電力会社の下請けだから給料は低い。それが辞めた理由」
「前置きが長いですね」
悪気が全く無い直美の声色に、律子は低く笑った。
「小説家と話をしていると自然とそうなるわよ」
自嘲気味に言い、次々と小説家の悪口が頭に浮かんだがぐっと堪えた。イケメン運転手のタクシーで馬鹿正直に話せない。律子は視線を外に向けた。流れるビル群を眺め、事務所に帰ったらまっ先に食べるおにぎりのことを考えていた。
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