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中島知久平の「必勝戦策」

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中島知久平が死去して70年が過ぎたので、著作権フリーのパブリックドメインになりました。そこで、巨大爆撃機「富嶽」を生産して運用する論文、「必勝戦策」を公開し、長島が取材で得た知識…
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記事一覧

中島知久平の「必勝戦策」。三、の終りまで

 ではいつものように原本を上げて打ち込みます。  ドイツは全面的に戦力を喪失し、全線に亘…

中島知久平の「必勝戦策」。第二、皇國保全の方(妄)策 一、日、獨、ソ、三國提携策

 では、このまま戦略を変えなければ日本は大打撃を食らうと予測し、武力解決ではなく、外交で…

中島知久平の「必勝戦策」。29ページまで

 個人的事情の余談から入りますが、打ち込み作業はそれほど苦ではないです。「銀翼のアルチザ…

中島知久平の「必勝戦策」。28ページまで

ページを上げて打ち込みまーす。  そこで、独ソ戦の将来は、果してどうなるかと云う問題にな…

中島知久平の「必勝戦策」。三、歐州戦局ヨリ波及スル國防の危機

 続いて、知久平さんが説明する「三大敗戦要因(※私の造語です)」の3つ目である、「歐州戦…

中島知久平の「必勝戦策」。二、の終りまで

 では続きをアップしまーす。  打ち込みまーす。 重大なる運命に逢着するのが憂が多分にあ…

中島知久平の「必勝戦策」。第三圖 昭和二十年航空攻防戦状況 23ページまで

 それでは「第三圖」を頭に叩き込んで必勝戦策の続きを読んでみましょう。  次は昭和二十年でありますが、第三圖に示す如く此の年は實に容易ならざる年であります。  前述する通り、二十年の後半期には六発爆撃機が大規模にやって来ることは避けられません、此の爆撃機は、2000馬力乃至2500馬力六発、総馬力12000馬力乃至15000馬力、航続距離は15000キロメートル、速力は550キロメートル、爆弾積載量は距離によって異なりますが、6トン乃至20トンと云う偉大なる性能を有するも

中島知久平の「必勝戦策」。第二圖昭和十九年航空攻防戦状況

 前回、「第一圖」を出した時に、地図に「航空航防」と書かれていたので、「当時の航空用語や…

中島知久平の「必勝戦策」。第一圖 昭和十八年航空航防戦状況

 まずはページを上げまーす。  打ち込みまーす。  所で之等の飛行機に対し、如何に攻防戦…

中島知久平の「必勝戦策」。15ページまで

 前回、知久平さんがいう「空の要塞」はB-17型爆撃機のことです。  第二次世界大戦が始まる…

中島知久平の「必勝戦策」。第一、の、一まで

 ヘッダーの画像は中島飛行機の社章です。この社章は天皇陛下の行幸が決まり、社内公募で採用…

中島知久平の「必勝戦策」。9ページまで

「必勝戦策」の下部を書影に上げました。シミらしきものがありますね。「必勝戦策」以外にも、…

中島知久平の「必勝戦策」。7ページまで。謎の空白

 はい。まずは画像を上げます。ページの真ん中部分は見づらいですね。強引に折り目をつけるの…

中島知久平の「必勝戦策」。一、生産戰ニ因ル國防ノ危機。 5ページまで

 ヘッダーの画像は、つい先日、ラジコン飛行機模型の大会、というか集まりに出場した富嶽です。 「こんなに大きな模型飛行機が飛ぶのか」  と思うぐらい、写真では伝わらない大きさです。中島飛行機があった頃では、1/1サイズの隼の実機が飛んでいたわけなので、 「現代の技術なら趣味でも飛ばせる」  であり、技術の発展を考えれば当たり前っちゃー当たり前なんですが、門外漢な私からすれば、何回飛んでいる姿を見ても驚くばかりです。 「必勝戦策」の要であるZ飛行機はまだまだ後の方です。