なんでもあるけどなんでもあるだけ

私って無敵かもしれない。

そう思ったことが人生で何度かある。
大抵は根拠のない自信がもとになっていたので完全な勘違いだ。今ではもう何故そんな考えになったのか全く理解できない。限界なんてそこらじゅうにあるのに。

ただ、もう10年くらい経っているのに忘れられないでいる瞬間がある。

夏の夜のことだった。地元のド田舎で夏にしか営業していないバーのようなお店に母とその友人と行った帰り道。
「なんか流星群きてるんだっけ?」
という話になって星空を見上げた。

田舎で満天の星空を見たことがある人はこの日本にどのくらいいるのだろうか。あのおだやかでありながら力強く、何度見ても感動してしまう光景。

その日もとてもとても美しい星空が広がっていた。海沿いの道で周りに高い建物も木もなく、視界に収まりきらないほど広い空。

一生懸命見上げていると首が疲れたので、みんなで道に寝転がった。ザラザラでかたいコンクリートはほんのりあたたかくてちょっと湿ってる気もして、快適ではないけど不快でもない。

どのくらいの時間をそう過ごしたのかはわからない。大した話もしなかった。ただただ目をこらして流れ星を待ち、お互いに報告し合った。流れ星と一口に言っても様子は様々だということを私はその時に初めて知った。弱い光で本当に一瞬しか見えないもの、とても明るい光を放ちながら比較的ゆっくりと流れていく存在感があるもの。

そんな星空と私の人生には特に関係がないのに、「こんな時間を味わえたんだから私は大丈夫」となんだか思ったのだ。

ま、その後の人生は全然大丈夫じゃないんだけど。

上京して、田舎の生活からかなり離れてしまった。
コンビニでいつでもご飯や日用品を買えて、夜の9時や10時ごろに小中学生が歩いているのも珍しくない。
電車とバスを使えば大抵のところには行きたいタイミングで行ける。
安い居酒屋、おしゃれなカフェ、カラオケ、ゲームセンター、品揃えのいい本屋にファストフード店など、時間をつぶせるところはいくらでもある。
秋になってもクモの巣にひっかかることがほとんどない。すれ違う人と挨拶しない。

人間だけのために、便利とされるものを詰め込んであるような東京。本当になんでもある。お金があればなんでもできるような気がする。お金がなくても稼ぐ方法がたくさんある。

でも私はなんだかずっと虚しい。それなりに恵まれていて幸せなのに充実感、満足感がない。こういう感覚があるのは私だけではないのではないか。

キャンプブームが来ているのも、「ない」を求める人が多いからではないか。意識的か無意識的かはわからないが、なんでもあってごちゃごちゃしたところから離れて、「なんにもない」からこそ存在しうるものを楽しんでいるのではないだろうか。
こんな仮説を立てた私こそキャンプに挑戦して検証したらいいのか。ひとりでは心細いので恋人でも誘って今年中に行ってみよう。

そうやって「ない」をもっと身近にしたら、なんでもある東京を改めて楽しめるのかもしれない。

ちなみにタイトルはOKAMOTO'Sの『Young Japanese』からお借りしました。よければお聴きください。



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