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遺書、になるはずだったもの


少し前
わたしは8/16をXデーにしていた。
クエチアピン(100)を270錠飲んで完遂するつもりだった。

でも8/4に220錠飲み
それでも死ねず
もうこれは死ねないのだと
死ぬことを手放すことにした。

手放して楽になったのか、といえば
そんなことはない。
複雑性PTSDも薬物依存症も
治ったわけではないから。

けれど
死ぬことを手放してよかった、とは思っている。
生きることを選び取れてよかった。
だから、この命を大切にしたい。

ここでは
死んでいたら公開するはずだった遺書を
公開したいとおもう。

以下、その遺書である。

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このブログが公開されているということは
わたしはもうこの世にはいない、ということだ。
だから
これはわたしの遺書になる。

先日の病院での暴力沙汰
わたしは病院と警察に訴えた。
目撃者もいて、絶対にまけるはずないと思っていた。

だが、わたしは裏切られた。

その場にいた看護師2名が
「見ていない」
と嘘の供述を警察に対してしたのだ。
そして
病院が警察に提出した防犯カメラの映像は
殴っているところが見えないものだった。

わたしは
病院という組織と、看護師に裏切られ
心をズタズタにされた。
暴力を受け傷ついた心をさらにえぐられた。
立ち直れないくらいには。

何週間たっても殴られたところの痛みは消えなかった。
友人には
精神的なものが影響しているのでは、と言われた。
わたしもそう思う。
怪我はとっくに治っているはずで
それでも続く痛みは精神的なものではないか。

そのくらい、わたしの心は限界だった。

そして、暴力を受けてから
金パブの量はさらにエスカレートした。
24時間90〜160錠を飲むようになり
それなのに採血結果はいたって正常。
主治医には
肝臓が壊れすぎて、これ以上壊れるところがないから
数値にあらわれないのではないか、と言われた。

それでも、飲むことをやめられない。
減らさないといけないのに、減らすこともできない。

日に何度も起きる、殴られたことや浴びせられた暴言のフラッシュバック。
心はそのたびにどんどん削られていった。
金パブの量は減らず
やめようと努力しても2日で断念した。
24時間90以上飲まなければ、心が保てなくなっていた。
限界の一歩手前で
細いロープの上で綱渡りをしているような状態だった。

実は、わたしは数ヶ月前に
ふたたびXデーを決めていた。
でもそれは
去年とは違う、前向きなものだった。
飲める限界量を飲んで
「それでも死ねなかったんだから、もう死ぬのは諦めて生きよう」と
死ぬことを手放すためのXデーのはずだった。

でもわたしは
暴力沙汰と病院の裏切りがあって以降
生きるためのXデーを
死ぬためのXデーに変えた。
かけつけて救急車を呼ぶ、と言ってくれている友人に
連絡することをやめた。
助かりたくないから。

もう、死ぬことしか考えられなかった。

もともとギリギリの状態で生きてきた。
それを
病院が、看護師が、死ぬ方へと背中をポンと押した。
わたしは病院に殺された。

わたしが死んだからといって
病院や看護師が後悔するとは思っていない。
もし後悔するような心を持っていたら
裏切るようなことができるはずないから。

死ぬことを選んだのは
病院と看護師に心を殺されたことと
暴力沙汰以降、金パブの量が増え続けて先が見えなくなったこと。
それを明確にここに書き残しておきたい。

もし、死ぬことができたのなら
いまわたしは1ミリも後悔していない。
いろんなものから解き放たれて
やっと自由になれたから。
だから
そんなに悲しまないでほしい。

わたしをここまで追い詰めた病院と
嘘をついてわたしの心を殺した看護師2名のことは
死んでも許さない。
来世がもしあるのだとしたら
生まれ変わっても恨み続ける。
絶対に絶対に許さない。

いつか、看護師たちが
自分のしたことの重みに気づいて後悔しますように。

約30年、ありがとうございました。
出会ってくれたひとたち
みんなに会えてしあわせだった。
来世がもしあるのだとしたら
またどこかで会えますように。

さようなら。
もしみんながわたしのこと忘れちゃっても
わたしはみんなのこと忘れないし
幸せになれるようずっとずっと祈ってるからね。

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これが死んで公開、にならなくてよかった。
死ななくても見せるね〜ってかたちにできてよかった。

これからも生きていくので
仲良くしてくれているみなさん
これからもよろしくお願いします。



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