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AO入試って機能しているのか?

↑今回見た動画。

動画では飛び級についての動画を見ました。
色々と意見があるとは思いますけど、話の根底には天才(ないし秀でた能力のある人)をどのように扱うかということがあるかと思います。

そこで思い出したのはAO入試です。
AO入試はいわゆる人物評価の入試形式で、面接と小論文で入学者を決めるというものです。

動画の中で日本は年齢主義だという話がありましたが、実際日本はそうだと思います。
これが悪いことなのかといえば、学校においては悪くないと思います。
学力云々を言い出したら、確かに年齢でバラバラになるのはそうなのでしょうけど、別に学校は勉強だけをする場所ではありませんからね。
友達を作るとき、普通同い年を選びますよね。
もちろん、大学では割と年齢は関係ない部分がありますけど、飛び級の話は高校以下での話です。

話がそれましたが、動画を見ていくうちに、AO入試というのは飛び級という学力以外の部分で不安定そうなシステムを使わずとも、才能のある人たちを受験なしで大学にまで送り届ける最高のシステムじゃん!?
ということをふと思ったのです。

ただ、ここでAOについて少し疑問が湧いてきました。
それは「AOって正しく機能しているの?」ということです。

私の持っているAOのイメージというのはさっき言ったように特別な才能のある人に受験勉強という本人にとってみれば枷となることを科さずに、その才能を活かすことのできるステージに送り届けるといったものです。

具体例でいえば真っ先に思い浮かぶのはさかなクン(さん)です。彼は本当に魚のことに関して類まれなる才能を持っていると世の中的に認められていますが、大学入試では1番の志望である東京海洋大学を学力というハードルのせいで諦めたという話は有名です。
AO入試はこのような才能があるけど受験勉強のせいでその才能が活かしきれないという人を救済することができる素晴らしい制度だと思います。

さかなクンの例では学力的に受からないというマイナスの要素がありましたが、仮に受験勉強を余裕で乗り越えられる高い学力を持ちつつ、さらに秀でた才能まであるという人に関しても、そんな力のある人にわざわざ受験勉強という回り道をさせるのは何とも申し訳ない気がしますし、そういう人にとってもAO入試はやはり良い制度だと思います。

ここで最初の疑問に戻りますが本当に「AOって正しく機能しているの?」ということです。

AOは間違いなく良い入試制度だと思います。
ただ、AOの実態ってそうではないように思うんです。

例えば、AO入試は偏差値40台の大学でも実施されます。
これって「才能のある人たちから受験という枷を外す」、というより「人数が足りないから高校に求人を出してる」に近い気がするんですよね。
本来の良さを全く活かさず、姑息な手段として使っているように感じます。

また、年々各大学のAO入試の枠が増えてきていると言われていますが、これも何だか変に思えませんか。
入試の枠がもし増えてしまったら、それだけ秀でた才能のない、普通の生徒がAOを使って入学することになります。
これはあまりAOという入試制度の良さを活かしきれていないように思います。

そしてAOの枠を増やすことは、一般の受験者を苦しませることにもなります。
私は最近知ったのですが、特定の大学の特定の学部では推薦とAOを合わせた人数が一般入試入学者と同じくらいになっているところがあるようです。
そして一般入試での倍率は4倍以上。
これっておかしくないですか。
AO枠を一切無くすというのはあり得ないとは思います。
ただその枠が広がりすぎて真面目に勉強してきた一般入試の子たちが割を食っているんです。

秀でた才能を持つ人のための制度として飛び級は個人的には良さそうには思えなくて、代わりにAOといういい制度があるんだからそれをもっと綺麗に使っていけたら良いのになって思うのでした。おしまい。



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