【救い・献身の証】



みなさんおはようございます。
私は現在40歳。
同い年の妻と、元気すぎる肉食系の男の子3人がいます。
今回は、前半は救いの証、後半は献身の証をします。

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生い立ち
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私の家族構成は、おじいちゃんおばあちゃん父母私の5人家族でした。
クリスチャンは母だけであり、おじいちゃんおばあちゃんは仏教、
そして父は自分が神様という宗教観がバラバラな家庭で育ちました。

そのような中、小学1年生の頃母が私を教会に連れて行きました。

最初は、なんでわざわざ日曜ゆっくり家に過ごすのではなく、
朝早くから教会に行かなきゃいけないんだ、
と不満に思ってましたが、
教会学校で仲の良い友達ができたことで、行くことがだんだんと楽しくなり、
次第に自分の意思で教会に行くようになりました。

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受洗について考えたきっかけ
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中学生になった時、夏に大島泉の家で教団のキャンプがあり参加しました。
ある夜の集会のあと、受洗についてのカウンセリングがありました。

僕は小さい頃からイエス様の話を聞いていて、
その存在や、自分のために十字架にかかり甦って下さったたことについてはなんとなく信じていました。

が、カウンセリングを受ける直前の集会で救いの証をしてくれた方いました。
その方が、
「祈っていた時に、暗闇にひとつの光がファーっと差し込み、
神様を感じたから洗礼に踏み切れんたんです。」

と話されていたため、僕の中では
「あ、洗礼というのは、イエス様のことを信じていても、
何か特別に感動的な出来事が起きなければ受けてはいけないんだなー」
とその話から思っていました。
なので洗礼を勧められたのですが断わり続けていました。

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イエス様と出会った時
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それからなんやかんやで時は流れ、20歳の時に当時の副牧師に洗礼を勧められました。

その時も先ほどの理由で断ったのですが、先生に
「感動的な出来事があるから洗礼を受けるというものではない。
必要なのは、主イエスを自分の救い主として信じる心と、御言葉だよ」
というアドバイスを頂きました。

私の中で「御言葉が必要」というのにハッとさせられました。

今までの私は、洗礼を受けるための条件として、感動的な体験をする必要があると思っていました。
もちろんそれもあってもいいとは思います、が
必要なのは永遠に変わることがない神の御言葉であることを先生を通して教えられました。

そしてこれからは、御言葉に頼り、イエス・キリストと共に歩んでいきたいと決心し、
マタイによる福音書/ 04章 04節
『人はパンだけで生きるものではなく/神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる』

この御言葉を受け入れて20歳の時に洗礼を受けました。

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献身の証
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私が大学生21歳の時です。

就職活動をしている時、元気であった母親が急に倒れました。
検査の結果、肺ガンでした。
しかもステージ4といっていわゆる末期状態。
肺全体にガンが広がったため、手術は不可能。
余命があまりないという状態だったんです。

当時日本の平均寿命は約80歳と言われ、
20代前半の私にとって、死というのはまだまだ先のものであり、
遠いものと思ってましたが、
自分の身近な人が、死に直面していることを目の当たりにし、改めて、

「人は死ぬ」

この現実を突きつけられました。
そしてこれをきっかけに、今まで考えたことが無かった、

「自分は何のために生きているのであろうか・自分の人生の意味とは何か」

こういうことを考えるようになったのです。

そんなある日、家に帰る途中、頭の中に突然光がおおい、神様から
「牧師になり、私のことを伝えていきなさい」
と言われたように思いました。
最初は幻覚、または夢でも見たのかと思いましたが、
この「牧師」という言葉が、これこそ自分の生きる道であると、
その時理由はわかりませんでしたが確信がありました。

「自分は牧師になる」

自分の生きる道は決まった。
そのために、牧師になるということは人をまとめる力、リーダーシップが必要であり、その経験を早くさせてくれるところに就職してから神学校に入ろうと思いました。

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ワタミとの出会い
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そのような事を考えながら就活していた時ある会社に出会いました。
ワタミという会社です。
店長としてアルバイトの方をまとめながら働くのは良い訓練だと思い、そこで4年間働いて神学校に入ろうと思いました。 

そして実際働き、その中で妻と出会い4年間働きました。

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母との約束
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母は、医者には半年から1年と言われたにも関わらず私がワタミで働いている間も生かされていました。
結果的にガンと分かってから5年間生かされたのです。

私がワタミを辞めた年、母の病がいよいよ重くなったため
その年は神学校に行くのをやめました。

母親が亡くなる数日前、もう意識があまりなく酸素マスクをつけている状態の時でした。
苦しんでいるのを見て、何かできないかなと思い、ベットの近くにいつも置いてあった聖書を広げ、母が好きな御言葉を読みました。

イザヤ書/ 40章 31節
主を待ち望む者は新たな力を得/鷲のように翼を広げて舞い上がる。/走っても弱ることがなく/歩いても疲れることはない。

これを読み終えた時、あまり意識のないはずの母がニコッとしたんです。
それを見た時私は、
「あ、確かに肉体はいつかは滅びていく。しかし神の言葉、御言葉はそのような中でも、
心に力と平安を与えることができ、生きる時もそして死ぬ時も人を慰めることができるものだ」
と気づいたのです。

そして私は、神の言葉を一人でも多くの人に伝え続けること

マルコによる福音書/ 16章 15節
全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。

これこそが自分の使命だということを改めて確信したのです。

「母さん、あなたの生きる姿をしかと見届けました。
これから私の自分のこの命を使って、人が死にゆくような時でも心に平安を与える、
この神様の御言葉を一人でも多くの人に伝えていきます」
そう約束しました。

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妻の反対
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葬儀が終わり、これから神学校に行き頑張るぞーと思ってたときです。
色々準備をしている中、妻に改めて気持ちを聞いたところ次のような答えが返ってきました。
「ごめん、私は正直牧師夫人になる気はほとんどない。
あなた自身は熱い思いがあるかもしれないけど、私はそうではない。
表面上牧師夫人になれるかもしれないけど、あなたには嘘はつきたくないからごめん。」

その答えに、
え、なんで、、、、こんなに準備してきたのに、、、と。

でも正直な気持ちを言ってくれたのはありがたいと思ってます。
今思い返しても、確かにあの時無理やり献身しても、色々と家庭内は問題になることが多々あったのでは、と思わされるからです。

そして私は、長年夢見た献身の道が閉ざされました。
神様が道を閉ざす時は、もうびっくりするくらい
バンバンとシャッターが閉じていく感じで道が閉ざされます。

そしてその時思いました。
「主よ、牧師不足と言われているこの日本の状況の中で献身しようとしているのに、
なぜあなたは献身の道を閉ざすのですか?献身はあなたの御心ではないのですか?」
と悩み苦しみました。
でも、献身の道は開けませんでした。

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いのちのことば社との出会い
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そのような中、祈り求めている時に出会ったのが、
いのちのことば社というキリスト教出版社です。

今思うとやはり神様の計画だなぁと思います。

普通、一般信徒は他の教会にはいけません。
今まで私は母教会以外の礼拝に殆ど出席者したことなく、
ホーリネス教団以外のことも全然知らなかったので、
超教派であるいのちのことば社で、
しかも様々な教会に行くことができる営業部の採用だったので、
まさに私に視野を大きく広げるために神様が用意してくれた場であると、
後から考えれば考えるほど思うようになりました。

様々な礼拝スタイル、様々な説教、様々な牧師、様々な牧師夫人、様々な牧会スタイル
と出会うことによって、どれが良い悪いとかではなく、これだけ牧会には様々なやり方、手段があるんだ、ということを学び経験したのです。

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入社した時に決めたこと
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そして私はいのちのことば社に就職した時に決めたことがありました。
それは、
「自分はすぐに献身したい、でも一度そのタイミングは神様に委ねよう」と。

具体的には、
妻がもしOKしてくれたら、それが神様の「時」と信じ、
今自分の気持や、判断は一度神様にお預けし、
今目の前の与えられた職場で全力を尽くそう
そう決めたんです。

そして、いのちのことば社で働き出して約6年後のことです。
妻の信仰に大きな変化が起こりました。
妻は、結婚前に洗礼を受けましたが、そのあとはどちらかというと教会から離れていました。

でもその頃に、彼女に色々な試練、苦しみ、失敗、特に心の痛みを通して妻自身どうしようもなくなり、そこでイエス様と改めて個人的に出会い、大きな方向転換を彼女はしました。
そしてそれを機に彼女自身、教会に行くようになり、だんだんと変わっていきました。

そのような中、2018年11月3日東京聖書学院デーの帰りに私が
「神学校行っていい?」
ときいたら、妻が
「わたしがダメって言って諦められるもんなの?」
と言われ、僕が
「じゃ行きます」
と言い、妻がGOサインを出してくれました。

そしてそこから献身への道が開かれ、東京聖書学院に入学し、今年インターン生として歩んでいます。

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結語
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結果、最初に自分がたてた予定より約10年以上牧師の道が開かれなかったです。
でもこの10年以上一見遠回りしている中でも、その経験一つ一つが糧となり、これからの牧会に活かされると信じています。

イザヤ書/ 55章 08節
私の思いは、あなたがたの思いとは異なり/私の道は、あなたがたの道とは異なる/――主の仰せ。
イザヤ書/ 55章 09節
天が地よりも高いように/私の道はあなたがたの道より高く/私の思いはあなたがたの思いより高い。

これから牧会する上で、私にはこういうやり方で伝道したい、などの思いがあります。
しかし主はそれをはるかに超える高いご計画を用意してくださり、時に私から見たら一見遠回りをさせられるように思うことがあっても、私を導き続けて下さる
そう今回改めて証を備える中で、強く思わされています。
以上で証を終わります。



今日も最高の1日を😄
God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)
長瀬雄大


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