なぜ牧師になりたいのかか?

先日、救いと献身の証をしました。
シェアします。




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イントロ
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改めましてみなさんおはようございます。
長瀬雄大です。

今回は、前半が救いのあかし、後半が献身の2部構成で致します。
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生い立ち
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私の家族構成は、おじいちゃんおばあちゃん父母私の5人家族でした。
クリスチャンは母だけであり、おじいちゃんおばあちゃんは仏教、
そして父は自分が神様(笑)という宗教観がバラバラな家庭で育ちました。

そのような中、小学1年生の頃母が私を教会に強制連行しました(笑)

最初は、なんでわざわざ日曜ゆっくり家に過ごすのではなく、
朝早くから教会に行かなきゃいけないんだ、
と不満に思ってました

教会学校で仲の良い友達ができたことで、行くことがだんだんと楽しくなり、
次第に自分の意思で教会に行くようになりました。

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受洗について考えたきっかけ
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中学生になると夏の大島泉の家でキャンプがあり参加しました。
ある夜の集会のあと、受洗についてのカウンセリングがありました。

僕は小さい頃からイエス様の話を聞いていて、
素直にその存在や、自分のために十字架にかかり蘇ってくれたことについてはなんとなく信じていました。

が、カウンセリングを受ける直前の集会で救いの証をしてくれた方いました。
その方が、
「祈っていた時に、暗闇にひとつの光がファーっと差し込み、
神様を感じたから洗礼に踏み切れんたんです。」

と話されていたため、僕の中では
「あ、洗礼というのは、イエス様のことを信じていても、
何か特別に感動的な出来事が起きなければ受けてはいけないんだなー」
とその話から思っていました。
なので洗礼を勧められたのですが断わり続けていました。

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イエス様と出会った時
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それからなんやかんやで時は流れ、20歳の時に当時の副牧師であった
某土屋正幸先生に洗礼を勧めらました。

その時も先ほどの理由で断ったのですが、
先生に、
「感動的な出来事があるから洗礼を受けるというものではない。
必要なのは、主イエスを救い主として信じる心と、御言葉だよ」
という助言を頂いたんです。

私の中で「御言葉が必要」というのにハッとさせられました。

今までの私は、洗礼を受けるための条件として、
感動的な体験をする必要があると思っていました。
もちろんそれもあってもいいとは思います、が
必要なのは永遠に変わることがない神の御言葉であることを先生通して教えられました。

そして、これからは御言葉に頼り、イエス・キリストと共に歩んでいきたいと決心し、
マタイ4:4
「人はパンだけで生きるものではなく、神の出る一つ一つの言葉によって生きるのである」を受け入れて20歳の時に洗礼を受けました。

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献身の証
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で大学生で就活をしている時です。

就職活動をしている時、元気であった母親が急に倒れました。
検査の結果、肺ガンだったんです。
しかもステージ4といっていわゆる末期状態。
肺全体にガンが広がったため、手術は不可能。
余命があまりないという状態だったんです。

母は身近なこどもの私から見ても真面目なクリスチャン。
お酒タバコもしないのになぜこのような病気になるのか、神様なんでですか?と疑問に思い悩み苦しみました。

当時日本の平均寿命は約80歳と言われ、
20代前半の私にとって、死というのはまだまだ先のものであり、
遠いものと思ってましたが、
自分の身近な人が、死に直面していることを目の当たりにし、改めて、

「人は死ぬ」

この現実を突きつけられました。
そしてこれをきっかけに、今まで考えたことが無かった、

自分は何のために生きているのであろうか、
自分の人生の意味とは何か、

ということを考えるようになったんです。

そんなある日、家に帰る途中、頭の中に突然光がおおい、神様から
「牧師になり、私のことを伝えていきなさい」
と言われたように思いました。
最初は幻覚、または夢でも見たのかと思いましたが、
この「牧師」という言葉が、
これこそ自分の生きる道であると、
その時理由はわかりませんでしたが確信がありました。

「自分は牧師になる」

ゴールは決まった。
そのために、牧師になるということは人をまとめる力、
リーダーシップが必要であり、その経験を早くさせてくれるところに
就職してから神学校に入ろうと思いました。

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ワタミとの出会い
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そのような事を考えながら就活していた時ある会社に出会いました。
ワタミという会社です。
創業者の方が渡辺美樹と言いますが、その方は実は元クリスチャンで、
ワタミ企業理念にこういうことが書いてありました。
「神はこの地球を魂を磨く道場として作ったと考えると全てつじつまがあう。」
と日本の一部上場会社なのに堂々と「神」という言葉を使っているところが共感し、
どうせ働くならそういう理念の会社で働こうと思いました。

もう一つ、
早いうちから人をまとめる役職につける環境にあるかということです。
一般的な会社であれば、管理職になるには順調に出世しても平均5~10年はかかる。

もっと早くリーダ職を経験をしたかったので、早くからチャンスがあり、
そして社員よりアルバイトの方をまとめたかったんです。

何故なら社員よりアルバイトの方が会社への帰属精神が低いため、
よりリーダーシップがなければ本当の意味でアルバイトさんを
取りまとめることができないので
より力が試されると思ったからです。

それが当時ワタミは伸び盛りだったので、1~3年で店長を経験できるとききました。

以上のことより、
企業理念が共感でき、
早くからチャンスがある、
という条件が当てはまるワタミに就職し、
4年間働いて神学校に入ろうと思いました。

そして実際4年間働きました。

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母との約束
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そのワタミを辞めた年、当初は神学校に行く予定でしたが
母親がそろそろ危ないという事で行くのをやめました。

母は結果的にガンと分かってから5年間生かされたんです。
お医者さんの見解では半年から1年と言われたにも関わらずです。

母親が亡くなる数日前、
もう意識があまりなく酸素マスクをつけている状態の時でした。
苦しんでいるのを見て、何かできないかなと思い、
ベットの近くにいつも置いてあった聖書を広げ、
母が好きな御言葉を読みました。

「主を待ち望む者は新たなる力を得、
わしのように翼をはって、
のぼることができる。
走っても疲れることなく、
歩いても弱ることはない。 (イザヤ書 40:31 )」

これを読み終えた時、あまり意識のないはずの母がニコッとしたんです。
それを見た時私は、
「あ、確かに肉体はいつかは滅びていく、
しかし神の言葉、御言葉はそのような中でも、
心に力と平安を与えることができ、
人を慰めることができるものだ」
と気づき

そして私は、
この神の言葉を一人でも多くの人に伝え続けること

マルコ16:15
'そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。 '

これこそが自分の使命だということを改めて確信したんです。

「母さん、
あなたの生き様をしかと見届けました、と。
これから自分のこの命を使って、
人が死にゆくような時でも心に平安を与える、
この神様の御言葉を一人でも多くの人に伝えていきます」
と、約束しました。

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妻の反対
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よし、じゃあこれから神学校に行き頑張るぞーと思ってたときです。
色々準備をしている中、妻に気持ちを聞いたところこのような答えがきました。
「ごめん、正直牧師夫人になる気はほとんどない。
あなたは熱い思いがあるかもしれないけど、私はそうではない。
表面上牧師夫人になれるかもしれないけど、
あなたには嘘はつきたくないからごめん。」
という答えでした。

え、なんで、、、、と。
こんなに準備してきたのに、、、、と。

でも正直な気持ちを言ってくれたのはありがたいと思います。
今思い返しても、確かにあの時無理やり献身しても、
信仰の温度差で家庭内は問題になることが多々あったのでは、と思わされるからです。

そして長年夢見た献身の道が閉ざされました。
神さまが道を閉ざす時は、もうびっくりするくらい
バンバンとシャッターが閉じていく感じで道が閉ざされます。

そしてその時思いました。
「牧師不足と言われているこの日本の状況の中で献身しようとしているのに、
なぜ神様は献身の道を閉ざすのか」と。
献身ってあなたが望んでいることではないんですか?と。

そして悩み苦しみました。
今まで過酷な環境で頑張ってこれたのもすべては牧師になるためなのに、
その夢がなくなった今、自分はいったいどうすればよいのか、、、。

でも献身の道は開けませんでした。

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いのちのことば社との出会い
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そのような中、祈り求めている時に、
いのちのことば社というキリスト教出版社に出会いました。

今思うとやはり神さまの計画だなーと思います。

普通、一般信徒は他の教会にはいけません。
今まで私は母教会以外の礼拝に殆ど出席者したことなく、
ホーリネス教団以外のことも全然知らなかったので、
超教派であるいのちのことば社で、
しかも様々な教会に行くことができる営業部の採用だったので、
まさに私に視野を大きく広げるために神様が用意してくれた場であると、
後から考えれば考えるほど思うようになりました。

様々な礼拝スタイル
様々な説教
様々な牧師
様々な牧師夫人
様々な牧会スタイル
と出会うことによって、良い悪いではなく、これだけ色々なやり方、選択肢があるんだ、ということを学び経験しました。

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入社した時に決めたこと
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そして私はいのちのことば社に就職した時に決めたことがありました。
それは、
「自分はすぐに献身したい、でも一度そのタイミングは神様に委ねよう」と。

具体的には、
妻がもしOKしてくれたら、それが神様の「時」と信じ、
今自分の気持や、判断は一度神様にお預けし、
今目の前の与えられた職場で全力を尽くそう
そう決めたんです。

でも、
一年後かな?あれ?こない、、、じゃぁ次の年かな?あれ、まだ来ない、、、
と日々時は過ぎていきました。
営業先で他教団の修養生とか見るととても羨ましかった。
いいなーはやく自分もああなりたいなーって。
悔しく、そして月日が流れれば流れるほど、あれ?本当にこれでいいのだろうか?
自分はこのままいのちのことば社で一生終えるのだろうか?
と迷い、苦しむことがありました。

そんな中、いのちのことば社で働き出して約6年後のことです。
妻の信仰に大きな変化が起こりました。
妻は、結婚前に洗礼を受けましたが、そのあとはどちらかというと
教会から離れていました。

でもその頃に、続けて、彼女に色々な試練、苦しみ、失敗、
特に心の痛みを通して妻自身どうしようもなくなり、
そこでイエス様と個人的に出会い、大きな方向転換を彼女はしました。

そしてそれが彼女自身教会に行くようになり、だんだんと変わっていきました。

そのような中、2018年11月3日東京聖書学院デーの帰りに、
「神学校行っていい?」
ときいたら、妻が
「わたしがダメって言って諦められるもんなの?」
と言われ、僕が
「じゃ行きます」
となり妻がGOサインを出してくれました。

このとき思ったのは、
それまでタイミングを神様に委ねていたと。
そして時が来た時、自動的に、まるでエレベーターでチンと聖書学院に行く感じになるかと思ってました。
でも最後に神さまはちゃんと私に行くか行かないかの選択肢、自由意志を与えてくれました。
「わたしがダメって言って諦められるもんなの?」と
最終的に私に決断をする自由を与えてくれたんです。

そして同時に思いました。
「主よ、このタイミングなんですね。
育ち盛りのお金のかかる子供三人と教会行き始めたばかりの妻を抱えて献身する。
それは普通に側から見たらタイミングとしてはよくありません。
大丈夫でしょうか?不安です」
そう思うこともありました。

でもこの時ふと、イエス様が隣でこう語りかけてくれた気がしました。
「いいかい雄大、
私の計画は雄大よりずっと高く、君が思っているより遥かに良いものだ。
これからも自分の計画に思い通りにならずに恐れ、怒る事もあるだろう。
でも安心しなさい。
私は雄大がどんなに私から背いていた時も救いの道を用意した良い神である。
この私が共にいるのだから恐れることはない」と。

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まとめ
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結果、最初に自分がたてた予定より約10年以上牧師の道が開かれなかったです。
しかしこの10年以上の一見遠回りをしている経験が必ず今後の働きにつながると信じています。

もちろん実際入学して全てが万歳、はっぴーというわけではありません。
人生歩んでいれば、それがたとえ念願叶ったものだとしても
悩み、なんでこういことが起きるんだろう?と思う現実が多々あります。

今、私も家族も試練や課題を通らされているところです。
そしてその現実を見ると、人の力では、難しいと思われることがたくさんあります。

でも今回この証を備えていて、改めて思います。
主は私と共にいてくださる良いお方。

自分には色々考え、こうなったらいいな、あーなったらいいな、と思います。
でも主はそれをはるかに超える良い計画を用意してくれていて、私を救いの道と用意してくれたこの良い神が私と主にいる、と私自身改めて励まされました。

最後に御言葉をお読みします。
「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。
天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。」
イザヤ書 55:8-9 JA1955

以上で証を終わります。



今日も最高の1日を😄God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)

長瀬雄大

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