【なぜ意思の力は弱いのか?】

「12の誤解」からの学びです。

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意志は人格の他の部分から独立して別個に存在するわけではないことを、聖書は明らかにしています。


私たちは、全身全霊を用いて物事を行なうのです。
意志や知性だけによるのではありません。
いわゆる大戒律も、この事実を示しています。
「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」(マタイ22:37)。
イエスがここで描いているのは、意志だけでなく、自分の全てを神のもとに差し出す、統合された人の姿です。


Aさんには統合が欠けていました。
性的に奔放な行動を意志によって制止しようとしましたが、心では続けることを選んでいたのです。

心も思いも同じ事を求め、全人的に決意するのでなければ、選択は長続きしません。
なぜなら、私たちは結局心が求めていることを選んでしまうからです。
内側で分裂しているのです。


神はこの分裂に対決されます。
「この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている」(マタイ15・8)。

この葛藤を所有しないでいると、私たちの一部が人格から切り離され、自らの選択を妨害することになるでしょう。

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私たちは大抵の場合、意思と心がチグハグな事が多いです。
なぜなら社会生活の中で〜ければならない、が多いからです。

○○をしなければ何かしらの罰がある。
それは昇級であったり、給与面であったり。

だから心ではしんどくても、まぁ生きるためにしょうがないな、と思うのです。
でもその結果の実は会社や上司の愚痴であり、反抗的な態度であったりします。


だからと言って、心が変わるまでは一切行動しない、だと現実的には支障が出てしまいます。
心から会社に行きたくなるまでは、会社に行かない、となるとその会社で長く続けることは難しい可能性が高くなります。


だからこそ、まずは自分の心の正直な気持ちを所有し認めること。
そこから回復が始まります。


神は意思と心との分裂に心を留められる。
なぜならそこには私たち自身が苦しみを味わうことを知っているからです。

改めて、自分の心の奥深くある気持ちを問いたいと思いました。



今日も最高の1日を😄

God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)

長瀬雄大



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