【自分が選択できることとは?】
「12の誤解」からの学びです。
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では、自分がしたいと思うことを選べないのなら、何を選べるのでしょうか。
私たちには以下を選択することが可能です。
●罪を告白する
●自らを救うことができるという考えを捨てる
●自分の無力さを神に差し出す
●人に助けてもらって自分の欠点を探る
●悔い改める
●自分のニーズを考え、他の人にそれを満たしてもらう
●償いをする
●赦す
●才能を掘り起こし、用いる
●神を求める
●真理を求める
●互いに愛し合う
以上の選択はどれも弱さと謙遜を前提としています。
善人になるよりも、問題に取り組むことを主眼に置いています。
善人になろうとしてもうまくいきませんが、上記のような選択は成功します。
これらの選択の元となっているのは、私たちの善人ぶりや敬虔な選択をする能力ではなく、罪深さと至らなさです。
これらの選択は霊的成長を生み出し、自制と正しい選択をする能力を結実します。
ですから、正しい選択をしようと一層の努力をするのは止め、あなたの足りない部分を神に明け渡してください。
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そのとき神はあなたの内側を変え、ご自身のいのちを再生してくださいます。
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自分の弱さを認めること、それは勇気のいることです。
多くの人は自分が自立しており、他人の助けなどいらないことが、立派な大人だと思います。
でも完璧な人間がいないように、欠けのある私たちは、互いに支え合い助け合うようになっています。
だからこそ、弱さと謙虚さが必要になります。
弱さが出せる分、この部分では自分の賜物を用いられると、積極的になれる部分があり、お互いに補って生きていけるのです。
自分の弱さを出し、内側から変えてもらい続けたいと思わされました。
今日も最高の1日を😄
God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)
長瀬雄大
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