【卒業を前に思わされること】

元々私が献身のことを考えたのは、21歳のとき母が肺ガンステージ4の末期状態であることを知った時がきっかけでした。
母の病のことを知り、「人はいつか死ぬ」そのことを改めて強く思い知らされ、なら私はこの自分の命を、また自分の人生をどのように全うしていくのか?そのためにどのような仕事をしていけばいいのか?こういうことをいやがおうにも考えるようになりました。


そんな時不思議と神から「お前は牧師になれ」と語りかけられ、自分はいつか牧師になる、そう思いました。
でも私は、すぐに神学校に行くよりも、一度社会人を経験してからの方が牧会に活かせるのではないかと考え、飲食店で店長経験してから献身しようと思い、実際4年働き、その中で結婚し、さあこれから献身しようと思った時のことです。
しかしまさにその時、様々な問題が重なり、私の献身への道、牧師になり御言葉を語ることが急に閉ざされました。


私はその時思いました。
「主よ、なぜ献身の道を閉ざすのですか、あなたのことをのべ伝えるために今まで色々と準備してきたのになぜ献身の道を閉ざすのですか。献身の道はあなたの御心ではないのですか」
そう叫びざるを得ませんでした。


私はその時何度も何度も祈り、神に問いました。
しかし結局答えのないまま、献身の道は開かれませんでした。
でもその中で不思議と私がたどり着いたのは、いのちのことば社というキリスト教出版の会社でした。
そこで働いている中で、神がなぜあの時献身の道を閉ざしたのか、その理由がわかりました。


私がいのちのことば社で働き始めて数年経った時、妻からこう言われたのです。
「実は私は摂食障害を患っているの」。
「摂食障害」これは自分では食欲のコントロールできずに極端に食べれなくなったりり、逆に過度に食べ過ぎてしまい、飲み込んだ物を吐いてしまうなど、食欲のコントロールが難しい精神的病です。


私はその病名というのを聞いたことはありましたが、まさか自分の一番身近な人がその当事者であったとは、その時まで全くわかりませんでした。
私は当時自分がこうしたいという思いにこだわってしまい、周りが見えなくなっていた。
しかも最も愛する身近な人の痛みである心の叫び声を聞くことができていなかったのです。


そこから私たちは病の回復に向けて共に歩み始めました。
そこには多くの困難があり、痛みがありました。
でも私はその経緯の中で、摂食障害だけでなく、アルコール依存症、統合失調症、鬱病などの精神疾患について調べていくうちに、こう思うようになりました。
「ああ、日本ではこんなに精神的に痛みを抱えている人がいるのか」。


ある人がこのように言いました。
こういった精神疾患の人たちには一つ共通点がある。
それは「深い孤独」だと。
自分では、仕事に行く時間に起きたいと思っているのに、病のために体が起きられない、動けない。
時間通りに職場に行きたいけどいけない。
熱など明確に肉体的な現れるものではないから、根性が足らないだけだ、とか精神的に甘いだけだと言われやすい。
だから周りから段々信用されなくなり、人が離れていく。
自分ではやめたいと思っても、自分の意思ではどうすることもできずまた悪習慣を繰り返してしまう。
そして思うように行動できないそんな自分自身をますます信用できなくなり、自分のことが嫌いになり、ますます孤独になる、、、
そのように苦しむ人達がたくさんいることを知っていきました。


私はその時思わされました。
「この人たちにも神の、キリストの福音が必要ではないか。
神が人となり、イエスキリストがあなたのために死なれ、そして復活され、永遠の友となってくださった。
たとえ周りの人が自分を見放そうとも、また自分で自分のことを見捨てようとも、イエスキリストは決して見放さず、決して見捨てないお方。
この福音、良い知らせをこの人たちのためにも告げ知らせよ、そのように神は私を招いているのではないか」と。


私はこの4年間で時々思い返すことがありました。
「もし献身の道が閉ざされたあの時、妻の抱えている病を知らずに進んで無理やり献身していったらどうなったであろうか」。
もちろん、そのような状況の中でも神の憐れみによってなんとかなる事もあったとは思いますが、やはり、多くの困難さはあったのではないかと思うのです。
しかし全てを知っておられる神が、あの時私の献身の道を閉ざされたのは、一番身近な人の痛みを知らせ、その経験を通して、同じように苦しむ人達に福音を伝えることを知らせるためであった、という神の深い深い計画があったと今振り返ると思うのです。


私は最初の自分のたてた計画とは全く違うタイミングで、予定より10年以上遅れた形で私は献身することになりました。
でもその歩みの中で私は、福音をあらゆる人にはもちろん、その中でも特に精神疾患の人たちにも福音を伝えていきたい、そのように具体的に思わされるようになっています。


またそれと同時に思うことは、これから実際に現場に出ていって伝道しようとしても、そこで行き詰まることがあると思うのです。
でも神は、その時その時において、一番助けを求めている人の声を誰よりも深く聞いていてくださり、その方に福音を伝えさせようと私を用いてくださるお方。
この神の導きに従って、私は目の前の人を愛し仕え福音を伝えていけばいい、そのように今思わされています。


私は本当に多くの人に支えられ、ここまで来ることができたと思っています。
そのことに感謝しつつ、今日の午後から行われる卒業式に臨みたいと思います。
みなさんありがとうございました。



長瀬雄大

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