【伝える側の心得】
「きぼうのたね」から思わされたことです。
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私たちの周りには、真逆の言葉があふれています。
試しに言い換えてみましょうか。
単純なことをこむずかしく、
こむずかしいことを上っ面で、
上っ面だけのことをもっともらしく、
もっともらしいことを無責任に、
無責任なことを偉そうに、
そして偉そうなことはあくまでも偉そうに
むずかしい言葉を使われると、奥の深いことを言っているのかもしれませんが、自分が頭の悪い人間に思えるだけで、結局のところ何を言わんとしているのかわかりません。
むしろ、子どもの絵本や素朴な昔語りで、はっとするような真実が語られていることもあります。
井上ひさしさんは、何か記念に書いてくれとせがまれると、ご自身が脚本や小説を書くときの姿勢でもあるこの言葉を、くり返し記しておられたそうです。
思い起こしてみると、たしかに、井上さんの脚本「父と暮せば」そうでした。
広島で被爆して結婚に臆する娘と、原爆で亡くなった父の幽霊との対話という、なんとも重い内容が、あたたかなユーモアにくるまれて描かれています。
これは物書きだけのことではありません。
日常のありふれた会話であっても、井上流で言い表すことができるなら、きっと伝えたいこと心の奥まで届けることができるのでしょう。
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「単純なことをこむずかしく、こむずかしいことを上っ面で、上っ面だけのことをもっともらしく、もっともらしいことを無責任に、無責任なことを偉そうに、そして偉そうなことはあくまでも偉そうに」
確かにそうだよなぁと思いながらも、自分がいざメッセージなどを発信側になるとこれがどれだけ難しいことが身に染みます。
聖書の真理を伝えるのを、小難しく専門用語を言ったり、最もらしく言ったり、言い回されたことをそのまま吟味せずに使い回したりしていることを。
ある牧師は皮肉として、
「多くの牧師は、石をパンに変える奇跡ではなく、パンを石に変える奇跡を行っている」
と言いました。
人を真実に生かす言葉である聖書の言葉を、死んだ言葉にしてしまっているのです。
自分の使う言葉を、コツコツ吟味しながら、難しいことをやさしく、やさしいことを深く言葉を磨き続けたいと思わされます。
今日も最高の1日を😄
God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)
長瀬雄大
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