良い知らせ

先日、未信者のお母さん向けに伝道用として作ったものをやりました。

元は「四つの法則」というものをアレンジしたものです。
シェアします。



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神と人間は魚と水の関係のようです。
魚は水の中でないと生きられません。
神は人間が滅びることなく、永遠に生きる存在として創られました。

しかし、あるとき魚は思いました。
「水槽より外の世界の方が自由じゃない?」
そして魚は自由を求め水槽を飛び出しました。
水が止めたにも関わらず。

聖書の罪とは、みなさんのイメージしている罪とは少し違います。
罪というと、犯罪をしたイメージがあります。
でも聖書の罪の意味は「的外れな生き方」。
ここでいう、水から離れた魚という意味です。

水から離れた魚はほんの少ししか生きれないように、
神から離れた人間は永遠から見たらほんの少ししか生きれません。
それは長くても約120年と言われています。

また、この状態からでは魚だけの力で水槽に戻ることは不可能なのです。
それはつまり人間の力、例えば良い行いをする、とかだけでは神に戻ることはできないのです。

そしてこれはすべての人がこのような状態になっているのです。

そこで神は考えました。
魚をまた水に入れる方法を。
それがイエスキリストです。

そのままだと死んでしまうしかなかった私たちの代わりに、
イエス・キリストが、私たちひとりひとりの罪の罰を身代りとなって受け、 十字架の死によって、つぐないをなしとげてくれました。

それはまるで人の手が魚を持ち、

水槽に戻してくれ、再び神と一緒にいれるようになるものです。
それは人の力ではできなく、神の力によってできるのです。

魚が水に戻ると呼吸ができ生きられるように、私たちはイエスを救い主と信じた時、私たちの魂も永遠の命を受けられるようになります。

イエスを迎え入れるとは、まず、
自分にばかり向いていた自分中心の生活を神に向きを変え(悔い改め)、
次に、自分の心に来て下さり、すべての罪を赦し、私たちを造り変えてくれるイエスに信頼を置くことです。

この図で言うと自分中心からキリスト中心の生活に変えることです。
イエスが神の子であり、私たちの罪のために死んでくださったことを信じ、迎え入れる決断をするのです。

心にはいつも真ん中に椅子があります。
イエスを迎い入れる決断をした時、いつも心の真ん中に座っていた自分からイエスが中心となり生きることができるようになるのです。

これは人の心の中を表した図です。
心の真ん中に椅子が置いてあります。
そこにはいつも何かが座っています。
ある調査によると人間の主な関心ごとは大きく分けて10項目になるそうです。

心の真ん中に何があるかによって、みなさんの心配事がそれに支配され、
そしてそれを失うことを恐れます。

例えば
バートナー(結婚相手、現在お付き合いしている人)→その人の機嫌や行動で私たちは左右されます。
家族→子供の行動や言動、兄弟、親子関係がうまく、いかないによって私たちは左右されます。
お金→儲けることが最優先され、人間関係が破壊してでもそれを得ようとします。また将来を恐れて貯金残高を必要以上に恐れます。
仕事・勉強→営業成績やテストの成績が良いか悪いかによって恐れを感じるようになります。
持ち物→ついにマイホームを手に入れた、とかあこがれの車を手に入れたなど、持ち物を手に入れる、また失なうことによって私たちの人生が必要以上に左右されます。
娯楽→ゲームであったり、音楽、テレビ、などをたくさん見ること、たくさん情報を得ること、失なうことが関心ごととなります。
友人→必要以上に友達の評価を気にしたり、友人の一言一言を気にしすぎるようになります。
敵→自分にとって嫌な人、自分を否定する人のことを思い出して気分が左右されます。それは小さい頃言われて、その敵がもうこの世にいなくなっていても、あなたの心に幾度となく攻撃する人も含まれます。
教会・地域活動→地域活動は自治会とか子供が参加しているサッカークラブでのお手伝いなどの活動で自分が必要以上に疲れてしまいます。教会活動もそうです。
自分→小さい裁判官の自分がいます。そして自分の行動に対していつも評価をします。あれはOK。これはダメだ。と。そして自分の評価によって自分の感情が左右されます。

これらのものがそれぞれその時によって、
ある時は子供があなたの心の真ん中に、
ある時はお金、
ある時は敵、
ある時は夫妻子供、
など私たちの心の真ん中に居座ります。
そして心の真ん中にいるそれをコントロールしようとし疲れます。
なぜなら失うのが怖いからです。

でもここにイエスが座るとします。
そうすると、こう言えるようになります。
「私は今まで自分で色々と抱えて生きてきました。
でも自分でコントロールしようとすればするほど、苦しく、
結局自分がしたくないことをしてしまうことがほとんどでした。

でもあなたを第一にする時、今まで私が大切にしていたものが失うかもしれません。
怖いです。
でもあなたに委ねてみたいと思います。
そしてこう言えるようにしてください。
私にはイエスがいる、だからこれらがなくても大丈夫」と。

これが周りをコントロールしなくなり、神に自分の人生を手放すということです。

さて、みなさんの心のドアにイエスキリストが優しく、ドアのノックしてます。
その音は優しい音です。
そして心のドアを開けるかどうかはみなさんの自由です。
これが私たちに招かれている良い知らせです。

もし、イエスキリストを自分の人生の中心として信頼し、歩みたいと思ったなら次のようにお祈りしてください。

「主イエス様、私はあなたを必要としています。
 私の罪のために十字架で死んでくださったことを感謝します。
 今、あなたを私の罪からの救い主、主としてお迎えいたします。
 私のすべての罪を赦し、永遠のいのちを与えてくださり感謝します。
 私の心の真ん中の椅子に座り、私の人生を導いてください。
 あなたが望んでおられるような者に変えてください。アーメン。」

イエスキリストは約束されたように、あなたの心に入りあなたの人生を導いてくれます。


その決断が1日でも早く来るよう私たちはお祈りしてます。

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今日も最高の1日を😄

God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)

長瀬雄大

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