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【いい絵とは】


まず「いい絵」というものを整理します
「魅力的な絵」というのは「いい絵」の一種です

「スパゲッティ」が「パスタ」の一種であるのと一緒です
「パスタ」には他にも「ペンネ」や「フィットチーネ」や
「ファルファーレ」というのもあるように


「いい絵」には
「魅力的な絵」や「きれいな絵」や「ワクワクする絵」などいろいろあります


そういうものをすべて含んだものである
「いい絵」とはどんなものかを今日は書きます


以前書いた、沖縄で会ったギターを持ちながら
毎日スケッチをして旅をしていた人に
「いい絵とはどんなものですか?」と
直球の質問を受けました


迷わず私は
「一つのイメージを最後まで失わずに描けてある絵はいい絵です」と答えました


「一つのイメージを最後まで失わずに描けてある絵」
これが私が考える「いい絵」の条件です


これは、私がいままで見てきた「いい絵だな」と思った絵を
なぜ「いい絵」なのか?分析した結果でてきた答えです
当然人によって「いい絵」の答えは違ってくるでしょう


ただ、私の導き出した答えは
「一つのイメージを最後まで失わずに描けてある絵」でした


この「イメージ」の種類によって
「魅力的」とか「かわいい」とか「すがすがしい」とか「きれい」とか「力強い」などの形容詞が付与されます

この答えを書いてある昔のメモが出てきたので
それをそのまま載せます
長いので途中で切り、分けて配信します


ここからーーーーーーーーー

いい絵の例
 一つのイメージを最後まで失わずに描けてある絵はいい絵である。
そしてその持続力、すなわち集中力の度合いにより絵の質も変化する。

同じ作家でも短時間で描いたものはすごくいいが、
少し時間がかかったものになると悪くなってしまうのはこのためである。

つまり少し時間がかかる絵を書き上げるだけの集中力が、
その作家には不足しているということである。


 かなり時間がかかる絵を
最後まで最初のイメージを失わずに
描き上げる集中力のある画家はいわゆる巨匠である。


が、俗に言われている巨匠の中には
必ずしもこれが満たされていない巨匠もいる。


 ところでその集中力は伸びるものなのか?
人によりその伸びる速度は違うだろうが
確かに努力によって伸びる。


その方法は?と聞かれて「こうです」と
一つだけ答えれるものはない
それはどんなところにもあるから。


この努力をほとんどしないで
大きな集中力を得る人がたまにいる。
こういう人をいわゆる天才と言う。

この集中力は絵の判断基準の一つであるが、
この他にも例えば技術というものがある。
(この技術を得ていく過程で集中力がつくこともある)


技術は会得するのは難しいが、扱うのはもっと難しい。


例えばこういう絵をたまに見ることがある。
表現手段であるはずの「技術を見せんが為の絵」を。


ここでは絵は技術を見せるためにある。


これでは本末転倒であるが
だからといってその絵が悪いとも良いとも言えない。


そのような絵はその画家の工芸品のようなもので、
絵としてだけで判断できない。


そういう意味でわたしはこれらを絵とは呼ばない。


だけど多くの人が、絵の善し悪しと技術の優劣を混同している。
この違いが分かってはじめて子供の絵でも
いい絵があるということが本当に理解できる。

ここまでーーーーーーーーーーー


このメモは誰かに向けてるような部分もあるけど
ほとんどは自分自身の考えをまとめたものなので
説明的なものがなく、過激な表現もある


これを書いたのは20年以上前で
当時の私は絵以外にまったく興味がなく
人と調和を取るタイプではなかったから
その性格が文章に表れています


今では賛同できない部分もあるけど
それを修正せずにそのまま載せました


理由は、端的だからこそ伝わるものがあるし
今の私の性格に合わせて書き直すと
文字数が3~4倍になってしまうから(´・ω・)


ぜひ、言葉の表面ではなく内面
内容に意識を向けて読んでみてください


■つづきーーーーーーーーーーーーーーーー

 また、こうゆう絵もよく見る。
ひとつの絵で所々イメージがころころ変わる絵を。


ただ単に集中力が足りなかったというだけのことかもしれないが、
技術も影響しているだろう。


どういうことかというと、
「この部分は自分の得意なところだ」という気持ちが
画家の中に生まれたとすると、
それまで持続していたイメージはその部分で変わる。

 ここでいうイメージとは、
絵に表現しようとしている内容ではなく、
その内容の表現の仕方である。


つまり一枚の絵の中で表現しようとする内容や
表現方法がいろいろ変わっても、
わたしの言うこの「イメージ」は変わることなく存在出来る。


言葉で説明しようとすると
言葉には人それぞれ固有のイメージがあるので、
どうしても伝えようとするものと食い違いができてしまうから難しい。


話を戻すと、
得意という思考は経験からくるものである。
だからその部分だけ過去に描いたイメージが入る可能性が大きい。


そうなるとどうしてもイメージの統一は難しくなる。


さらに推し進めると、静物画、肖像画、風景画だけを描いていた人が、
もし他の絵が描けないとすれば、
本当は絵を描いていなかったということになる。

この部分を説明するのは難しい。


絵というのは対象が何であれ、
それを描くことには変わりがないはず。


しかし本当は絵を描いていないという人は
対象に基づいてなく、自分の記憶に基づいて絵を描いてしまっている人である。


「描き馴れて」しまうことは、こういう落とし穴がある。
たまにはそういう作品もいいが、
いつもそういう描き方をしていると


目の前の対象を離れ、
過去の繰り返しによりイメージを固定させ、
それを技術と混同してしまう。

技術を取得するとき、
同じ事の繰り返しによって得られる場合がある。


それとこれを混同してしまうのだ。


冷静に考えれば、
同じモデルの顔でも毎日違うはず。


その時々で違うものに対して、
「この顔は描きなれている」と思うことが
いかにおかしなことかが分かる。


事実を離れずに描いている人は、
対象が何に変わろうといっこうに差し支えないはず。


こういう人を本当に絵を描いている人という。

ここまでーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


◆恐らくこの時の「絵」とは
抽象絵画などは念頭に置いていなく
狭い範囲の「絵」を対象に書いてると思います


あなたにとって「いい絵」とはどんなものですか?
一度考えてみてください・・・(´・ω・)


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