見出し画像

「週刊金曜日」(2024年4月12日号)にカラー二・ピックハート『わたしは異国で死ぬ』(髙山祥子訳、集英社)の書評を書きました。

この小説が描くのは2014年にウクライナで起きたユーロマイダンという革命。当時のヤヌコビッチ大統領による親ロシア的な政策に抗議する人々が治安部隊と衝突し、おびただしい数の死者が生まれたあの革命に取材したアメリカ人の作者は、キーウにあるマイダン広場を中心に、一つの大きな悲しみの物語を紡ぎます。現在の世界に生きる〈わたし〉たちならみんなが共有しうる、痛みや喪失としての悲しみの物語を。

語り手のまなざしの先にいるのは、三人の男女。

ひとりは、広場付近の修道院で働く医者のカーチャ。アメリカで暮らしていた彼女は子どもを亡くし、深い悲しみのなか、夫の不貞を目撃してしまった。耐え難い現実から逃れるように、出生の地であるウクライナにやってきたカーチャは、革命の徒の救護にあたっている。

それから、チェルノブイリ原発に近い町で育ち、そのために愛犬と父を事故で亡くし、妻もまたその後遺症で失ったミーシャ。革命のために戦う彼もまた、悲しみを抱えて生きてきた。

そして、妻の喪失に打ちひしがれるミーシャと関係を持つスラヴァは、幼い頃に母に売春グループに売られた経験がある。母に去られ、父の暴力から逃げた彼女はフェミニズムの活動集団の一員でもある。

小説は人生のどこかで傷ついた彼女・彼らを、新しい悲しみが不断に生まれるマイダンの広場の一点で交わらせることで、運命の奇跡的な姿を露わにする。この小説の特徴は「声」です。言葉の隙間から詩情がこぼれるような語り手の「声」は、あまりに現実的な固有名詞の数々と溶け合い、この世界の悲しみを歌い上げます。それはここにある悲劇を他人事にすることを決して許しはしない。

もう一人、語り手が耳を傾ける人物がいます。

カーチャとミーシャのそばに横たわる、瀕死の重傷を負う年老いた男性。言葉を持たないそんな彼が携えていた一本のカセットテープは、現在の物語の間でたびたび再生され、彼の声でその来し方を語る。彼はある事情で、祖国そのものを失う人間となったことが明かされるのです。

本書は原題で"I will Die in a Foreign Land."。書評ではここに描かれる故郷喪失者の悲しみを、喪失を経験したすべての〈わたし〉のそれとして読みました。

作中である人物が叫びます。〈単なるウクライナの物語じゃない――わたしの物語なのよ。あなたの物語よ〉。その意味をぜひ確かめてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?