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辺境は、いま、どこにあるのか ーーGoogle時代の紀行文学

三重県教育委員会の国語の先生が集まって組織している三重県高等学校国語科研究会さんから紀行文学の魅力をたくさん本を紹介しながら語ってくださいとご依頼いただきました。おれでいいのか?感はあったのですが、会の責任者の方が、ずっと前にブルース・チャトウィンについて書いた拙論を呼んで、声をかけてくださったみたいです。ありがとうございます。当日、講演した内容を転載します。

1、紀行文学とは何か

 さて、今日は「辺境は、いま、どこにあるのか ―― Google時代の紀行文学」という題でお話をしたいと思います。今回、僕がこの研究会に呼ばれたのは、みなさんが以前、僕がある場所で書いたブルース・チャトウィン論「虚構と紀行のはざまで」をたまたま見つけ、読んでくださったからだとうかがいました。そこで僕は、ブルース・チャトウィンの『パタゴニア』が紀行文学として特異であり、同時代の文学のなかでも傑出した作品であるのは、あの小説が「旅によって触発された物語的想像力の記録、もしくは旅によってかきたてられた物語的幻想の記録」を目論んだものであり、旅を通じて「物語の発見」をすることこそがその文学的な目的だったからだと書きました。

 簡単にいうと、「旅によって触発された詩心の記録、もしくは旅によってかきたてられた詩的幻想の記録」を試みた松尾芭蕉を読んだチャトウィンは、記録ノート、土地の物語、歴史的物語の3つの参照軸を組み合わせながら、虚構を用いて旅の体験を再構築するという文学的な偉業を達成したのでした。

 今日問題にしたいのは、その偉業の意味を探ることではないので、その話を繰り返すことはしません。ここで考えたいのは、紀行文学はいま可能なのかということです。

 Googleという、少し前に流行った言葉で言えば、全てを見透かす神があらわれた現在、地球の全容を掴むのが遥かに簡単になりました。スマホを開き、ブラウザを立ち上げて、Googleで気になる土地の名前を打ち込む。すると、その歴史が、そこを訪れた人たちの体験談が、土地の風景写真が極めて高い解像度でもって画面に映し出される。そんな時代にあって、紀行文学をわざわざ書く意味とはなんなのか。その可能性を探ることを、今日はみなさんと一緒に考えてみたいと思います。

 さて、先の論考で、僕は従来の紀行文学が風景の発見や旅する主体としての自己の内面の発見を目的とするものなのに対して、チャトウィンの文学は物語の発見を試みたことが新しかったのだと書きました。少し雑ですが、そう考えると、紀行文学とはとにかく何かしら発見をするものなのだということが、なんとなく言える気がします。そして、その「発見」がGoogleの降臨した現代にあって非常に難しくなった。では、それは全くの不可能なのか。もちろんそうではない。いまも紀行文学を精力的に書き続けている作家は多くいます。まずは、彼・彼女らの作品を紹介しながら、Google時代の紀行文学について考えてみましょう。

2、辺境の現在地について

 紀行文学が書かれる場所は、辺境と呼ばれる土地が多かったのは、そここそが旅人の発見にとって未開拓なものがたくさんある空間だったからです。辺境とは、辞書的な定義で言えば、中央から離れた場所のこと。しかし、その「中央」とは旅人が旅にでる前の「日常」がある場所だと考えた方がいいと僕は思います。その紀行を書き、出版することを目的とするならば、そのときの「中央」は読者が身を置く日常生活のあるところだと言ってもいいでしょう。辺境はそうした旅人、あるいは読者の日常から離れた土地のことになります。

 そんな辺境を愛してやまない作家が高野秀行さんです。1989年に早稲田大学探検部時代に書いた『幻獣ムベンベを追え』でデビューした高野さんは、麻薬の生産が盛んに行われるミャンマー北部を訪れ、みずからケシの栽培に従事した体験を綴った『アヘン王国潜入記』や、ベールに覆われた牧歌的「国家」であるソマリランドのルポ『謎の独立国家ソマリランド』(講談社ノンフィクション賞受賞作)などで有名ですが、これまでに30冊以上の紀行エッセイやルポルタージュ作品を刊行しています。公式ホームページにみずから「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それを面白おかしく書く」と謳っているように、秘境や魔境など、僕たちの想像が及ばない土地での暮らしを教えてくれる、だけでなく、自身の旅を一つのエンタメショーとして表現してくれるのが高野秀行という作家なのです。

 高野さんにとって辺境を書くとは何か。エッセイ集『辺境中毒』のなかで高野さんは、それはブラックボックスを覗くことと同義だと書いています。じぶんたちの日常と離れた場所にある「知られざる」光景を目撃し、経験し、味わい、書くことで、未知を既知に転じるだけでなく、既知だと思っていた日本という国や日本人であるじぶんについても知り直すことでもあるのだと、高野さんは言うわけです。実際に、『世界の辺境とハードボイルド室町時代』という歴史家の清水克行さんとの共著では、ソマリ人が室町時代の日本人とそっくりだという発見から、日本人を捉え直すというアクロバティックでありながら本質的な議論を試みてもいます。

 しかし、今日の僕たちのテーマから考えると、これまでブラックボックスだったものが透明化し続けているのがGoogle時代なのではないか、という疑念が浮かびます。旅の醍醐味は、そこでは失われているのではないか、と。

 だが、高野さんの本を読むと、そんなことはないことがよくわかる。『謎の独立国家ソマリランド』は次のようなプロローグから始まります。高野さんは吉田一郎『国マニア』を通じて、ソマリア連邦共和国内に奇跡的な平和を作り上げる独立国家「ソマリランド共和国」の存在を知った。そこでネットを駆使して情報を集めるのだが、Wikipediaで知れば知るほど、違和感が募る。そこには、

ハルゲイサという名前の首都の中心街の写真も掲載されている。埃っぽい道路の脇で、台座に戦闘機が載せられた記念碑みたいなものがうつっていた。いかにもアジア、アフリカの小国という風景である。これはリアルだった。
 ただし、ウィキ情報はいささか充実しすぎていた。

(高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』集英社)

「ウィキ情報はいささか充実しすぎていた」。どういうことでしょうか。ネット上では、ソマリランドはソマリアと並べて書かれている。知識として考えるならば、地理的にも歴史的にも何も間違いないが、無政府状態が続くソマリアの不穏さや、近接地域の物騒さと接続するかたちで書かれるとその独自性が全く見えてこない。「仔細に見ていけばいくほど、ソマリランドの牧歌的なイメージは後退し、「所詮は戦国ソマリアの一部じゃないのか」という疑問が頭をもたげずにはいられない」。

 だからこそ、「結局、自分の目で見てみないとわからない」と現地へ赴き、ソマリアの戦場都市であるモガディシュで「リアル北斗の拳」が繰り広げられる情景を目撃し、たどり着いたソマリランドで和平と平等が奇跡的に達成される社会に溶け込み、さらには当地の長老に弟子入りを志願する。詳しくは本書を読んでいただきたいのですが、そんな高野さんが今日の僕たちに教えてくれるのは「辺境」を知り、書く、そしてそれを読むことの意味です。

 知識や情景を発見することならばGoogleでできる。そうではなく、そこで生きることのダイナミズムを発見し、書くこと。高野さんは自身の表現技法を「エンタメノンフ」と名付け、ただ真実を伝えるだけでなくて、みずからの体験をおもしろおかしく書くことを追求しています。

 先の僕の論考でも触れましたが、ロラン・バルトの翻訳などで知られるフランス文学者の石川美子さんは中世以来の紀行文学を読み解いた『旅のエクリチュール』で「旅の忠実な報告としての旅文学などそもそも存在しない」と言い、「つまり、旅をめぐる作品は、どうしても作為性や物語性といった虚構の香りをまとって成立しているのである」と紀行文学における虚構性を見定めていました。もちろん「エンタメノンフ」が虚構であるということを言いたいわけではありませんが、辺境体験の真実性と書くことの自由さの両方を足場にして作品を紡ぐ高野さんのルポルタージュを紀行文学の正統性を継承するものとして位置付けたいと、僕はいま、考えています。

3、辺境=戦場

 知識や平面的な情報ではなく、奥行きのある情景として辺境を、そこでの体験を描く。それが紀行文学だということがここまででわかったと思います。ここからは、そんな辺境を体験した文学作品をいくつか紹介していきたいのですが、読者のいる日常からもっとも遠い、しかし、それを「遠い」と感じるままでは許されない、そんな辺境の一つに「戦場」があることをまずは考えてみましょう。

 戦場体験を紀行文学として書く/読むということは、これまでも行われてきました。紀行文学の名手として知られる開高健もベトナム戦争の取材を基にした作品を数々書きました。戦場のリアリティとは、いつの時代にあっても、ブラックボックスのなかにあるものです。

 そんな戦場となった土地の日常を繊細さの極致ともいうべき筆致で描き出したのが、山崎佳代子さんの『ベオグラード日誌』(書肆山田、読売文学賞受賞作)です。山崎さんは1980年代にセルビアのベオグラードに移住してから現在まで、当地で活動を続けている日本の詩人です。ユーゴスラビアの解体やNATOによる空爆を経験した山崎さんの2001年からの12年間を綴った本書は、何かを伝えることではなく、変わってしまった世界で言葉を紡ぐ、そのことの意味を探るために書かれている。本書の「あとがき」で山崎さんはこう書いています。

バルカン半島という辺境の宿命について、今、思いを巡らせている。様々な征服者、幾つもの戦争が繰り返されるこの土地では、人の手が生み出したものを守り、文明の形を後世に伝え続けるのは困難だった。大きな国が形あるものを伝えることはさほど難しくはないが、小さな国が形あるものを伝えるのは容易いことではない。

山崎佳代子『ベオグラード日誌』

 しかし形のないものを語ること、形を失ったもの、これから形が生まれようとするものについて語ることこそが、言葉にゆだねられた仕事であるのだとしたら、南ヨーロッパの辺境で私が三十余年を過ごしてきたのは、それほど悪いことではなかった。悪戯好きの運命が、ベオグラードという町で、私という「日本文学の戦中派」を産み落としてしまった。いつの間にか私の日本語が、日本文学の辺境を形作っている。

同上

山崎さんの『ベオグラード日誌』を一つの紀行文学として受け止めるなら、この本がぶつかっているのは「伝えることの困難」と言うべきものです。変容した世界を伝えるのではなく、変容した世界で語ること。かつて哲学者のハンナ・アーレントは真実の証拠ではなく、証言、すなわち真理を語ること・人の存在を重んじました。その意味を十全に取り出した政治学者の重田園江は『真理の語り手』(白水社)のなかで、歴史的事実には必ず反論者がいることを指摘し、「歴史的出来事について「本当は何が起きたのか」を示す場合、当事者や目撃者による証言と、そうした人たちの日記や回想に注目が集まる」ことに意をとめています。その上で、真理を語り得る者とは「事実との間に特別な回路」を開く人間のことであると述べるのです。

何かを実際に体験し、あるいは目撃するということ、そこに居合わせるということは、事実との間に特別な回路を持った存在になるということだ。その意味で、証言者、証人、目撃者とは、政治における嘘を成立させるような場面とは異なった次元にいる存在である。

(重田園江『真理の語り手』)

ここにはアーレントの「政治における嘘」という論文の次のステートメントが下敷きにされています。

権力を掌握する者がたとえいかなる工夫を凝らそうとも、真理の代替物となりうるものを発見したり考案することはできない。なるほど、説得や暴力は真理を破壊しうるが、真理に取って代わることはできない

(ハンナ・アーレント「政治における嘘」)

山崎佳代子さんの静謐な文章の勁さはここから、その意味がわかるはずです。山崎さんの言葉は真理を語る。戦場のリアリティと、そこを辺境だと感じる僕たちの間に「特別な回路」を切り拓いてくれる。いくつか本書から引用しましょう。

帰りの夜道を車で走る。左手の藍色の闇に、ありありと廃墟が浮かび上がる。チャチャック市。空爆の跡? そう、NATOの空爆さ。ガラスは被曝したときのままに割れ、電気工場の不気味な影絵が凍結している。空には大粒の星が輝き、やさしい娘のために金貨が降りそう。
十一時帰宅。夕食のスープを温め、新聞に目を通す。イラクに日本が自衛隊派遣? 何のため? 思想も理想も失った、この世界をどう歌おうか。『池澤夏樹詩集成』を読み終えた。(2003年11月20日の日誌)

(2003年11月20日の日誌)

菩提樹の花が香る。夕方の団地のスーパーマーケットの前に、蜜柑の木箱をならべて店を出す人々。木製の杓文字やまな板、中国製のおもちゃ、手編みのレース、卵、果物、海賊版のCD、ストッキング、安価な衣類など。国連制裁で会社のリストラにあった人、就職できない若者、難民となって流れて来た人、独居老人。生きるためのささやかな日銭をここで稼ぐ。野菜売りの女の人から葱を買う。疲れたから、早めに切り上げるわ、と言っていた。午前はK工場で働き、午後は川辺の畑にゆき、夕方、売りに立つ。

(2004年4月19日の日誌)

「思想も理想も失った」世界に生きる人たち。そこにある日常。その生々しい現実を語ることの極めて純粋で、高度な達成がここにあると僕は感じます。そして、その語りは、日本で生きる僕たちの生を捉え直す契機につながる。

 先に紹介した高野秀行さんは言っていました。辺境というブラックボックスを経験することは、日本について知り直すことでもある、と。2012年までを語る山崎さんの『ベオグラード日誌』はベオグラードの日常と地続きなものとして東日本大震災を捉えています。山崎さんの語りは大きな言葉では見えづらくなった、ベオグラードと震災後の日本に生きる人々の生の揺らぎに出会うための「特別な回路」を僕たちに切り拓いてくれるのです。

 もう一つ、戦場の真理を語ることをもくろんだノンフィクション・ノベルを紹介します。サマル・ヤズベク『無の国の門』(柳谷あゆみ訳、白水社)です。この本は、シリア人である作者が、祖国に三度にわたって帰国する、その旅を記録し、そこで目の当たりにした現実を物語に再構築した小説です。

 2011年に起きた革命以後のシリアは秩序を失い、世界で最も禍乱を極めている国の一つとなってしまいました。祖国に舞い戻った「私」は仲間とともに村々を周り、戦禍のなかで怯えながら暮らす無辜の市民たちと対話を重ねていきます。彼らの口から出てくるのは、あまりに不条理で、あまりに凄惨な悲劇の数々。その証言を作者は文章にし、世界の真理として僕たちに提示してくれるわけです。

 不思議なのは「私」が道中で出会う革命家たちや戦場の女性たちが、彼女・彼らの歩む道の先には無残な死しか待っていないのに、大きな希望に満ちていることです。彼女・彼らは「いきいき」としている。高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』でも、ソマリ人たちが実に「いきいき」と描かれていました。こうした辺境にある希望という名の真実は、知識や情報で伝達できるものではないでしょう。紀行文学の可能性は、ブラックボックスと化した辺境のエネルギーを鮮やかに「いきいき」と描き出すことにあるのだと思います。

4、国から逃げてきた者と自分を探す者

 戦場を訪れ、その真実を語る。そこに文学的営為の可能性があると信じる紀行文もあれば、一方で、逃げることの意味を考える紀行文学もあります。前川仁之『逃亡の書』(小学館)です。この本は難民、あるいは、亡命者と出会う著者の旅を描いた作品。というものの、「難民、あるいは、亡命者」というくくりは本書を紹介するときにふさわしくない。なぜなら、この本は、そうした粗雑な縛り方で一括りにすることで、その個人としてのたたずまいを見過ごしてしまうことに警鐘を鳴らし、出会った彼ら一人ひとりの人間的なゆたかさを活写することを目指すものだから。だから、やはりこの本のキーワードも「いきいき」だったりするわけです。

 とにかく前川さんのフットワークが凄まじいんです。済州島にイエメン難民が押し寄せていると知れば直ちに会いにいき、スペインでは前川さんが敬愛する二人の亡命者――音楽家のパウ・カザルスと哲学者のベンヤミン――の逃亡ルートをギターを背負ってひたすら辿る。前川さんは、彼らが握りしめた希望と絶望の真実にはその先でしか出会えないことを十分に知っているんですね。

 そこにある世界を覗くために独学で彼らの言葉を身につけるのだから、これまた凄い。後半で、著者は、ウクライナ難民たちと交流を図るのですが、そこで描かれる彼女・彼らとの交歓の情景は、戦争の時代にあって友情こそが閉塞感を打ち壊す唯一の武器なんだと気付かせてくれます。こうした難民との邂逅の数々が僕たちに見せてくれるのは、国民国家の枠組みを越えた先にある、個人という存在の眩しさなのです。前川さんは次のように書きます。

難民は、一人一人が大使である。もとい、難民一人一人が持っている大使の可能性、外交官の可能性、素敵なゲストの可能性を引き出すのは、迎える国の、私たちのまなざしである、と。
 まなざし、と表現したのは詩的な効果を狙ってではなく、社会学者のジョン・アーリが提唱した「観光のまなざし」のように、良くも悪くも知的に制度化された見方に堕する危険をほのめかしたいからだ。(中略)
 制度化されたまなざしは、死んで防腐処理をほどこした昆虫を標本箱にピン止めするように、相手を突き刺し、はりつけ、動けなくする危険をともなう。動けなく、とはふつうの個人としてのその人らしさが発揮できなくなるということだ。誰かの郷土というかけがえのない存在だったとある町が、自ら、しかし強いられて、観光地化していくように。

(前川仁之『逃亡の書』)

 前川さんの『逃亡の書』は、辺境から逃げてきた人々を見つめる「まなざし」に自覚的になることを僕たちへ促します。逃げるという行為のなかにある、生きるという営みの尊さ。前川さんの「まなざし」はそこに向けられているわけです。だから難民を「いきいき」と描いたこの紀行文学は新たな共生の未来を描く思想書でもあるわけです。

 逃げることについて考える紀行文学として、もう一つ、タイの作家プラープダー・ユンの『新しい目の旅立ち』(福冨渉訳、ゲンロン)を紹介させてください。

「ぼくはいったいなにから逃げているのか?」ひとりの現代タイ作家がそんな問いを胸に抱きながら辿り着いたのは、バンコクから遠く離れた辺境の地、フィリピンのシキホール島でした。文明の未だ訪れていない南洋の孤島を探索しつつ彼が考えた軌跡を綴ったこの本は、紀行文と哲学的エッセイがとけあったような散文となっています。作者の言葉を借りれば、この本は「思考の旅の記録」なのです。

 語り手の「ぼく」は、もともと、自然を超越的な次元にある、神聖なものだと捉えていたと言います。自然をいわば神聖なものだと信じる思想さえあれば、地球環境の保護活動へたくさんの人々を誘うことができると思っていたわけです。シキホール島にはそのヒントがあるのではないか。そう考え、この土地にやってきたわけですが、島の時間、そしてここに根付く文化に身を委ね、また同時にオランダの哲学者であるスピノザの著書を読むうちに、「ぼく」はその間違いに気づくわけです。

 シキホール島の魔女や黒魔術を探す旅は、やがて、都市に生きる人間である「ぼく」に自然とともに生きることの意味を再考させる。そこで「ぼく」の思想は一度、壊れ、再び作り直されるわけですが、その様子を目撃した読者も、世界との関わり方について考え直すことを迫られます。自然とは何か。人間とは何か。まさしくそのことを見つめる「まなざし」もとい「新しい目」を獲得させてくれる紀行文学なのです。

5、世界の輪郭をなぞり直すこと

 辺境とは読者の日常=中心から離れた場所であるという話をしました。読者の日常生活から見えなくなったブラックボックスを知ること。それが辺境を体験することの意味だったわけですが、ここで一つ考えなければならないのは、そもそも中心とは一体、なんなのかということです。中心、あるいは、中央とはいつ生まれたのか。近代という時代が、中央集権的な力の肥大化した時代だったことはご存知だと思います。近代的な力学は、国家を形成し、現在に至るまで維持され続けている世界の輪郭をかたち作った。辺境とはそのとき周縁に追いやられた場所でもあるわけです。

 近代という時代がかたち作った周縁=辺境を描くことの文学的な意味を探究し続けている作家に黒川創さんがいます。昨年刊行された『世界を文学でどう描けるか』(図書出版みぎわ)はそんな黒川さんのサハリン紀行を綴ったもので、近代国家の恣意的な線引きによってかたちづくられた辺境を辿り直すことで、世界の輪郭そのものを問い直す一冊です。

 この本で面白いのは、黒川さんが、コミュニケーションの側から世界を見続けた近代的な文学観をカッコに入れ、ディスコミュニケーションの方に人間の創造性を見ようとすることです。だから、このテクストで黒川さんは、サハリン紀行文の間でゲーテが構想した「世界文学」に対する批判を展開しています。黒川さんは言います。

ゲーテによる「世界文学」は、多言語間でのコミュニケーションの際限なき進展を想定する、かなり楽観的な言語観にもとづいて構想されている。
だが、現実の局面で、コミュニケーションは、もう一方にディスコミュニケーションの側面を伴う。だからこそ、「文学」には、ディスコミュニケーション、つまり誤解や伝え損ねを母体に生じるところもある。

(黒川創『世界を文学でどう描けるか』)

 ディスコミュニケーションの側から世界を見る。それは近代的な線引きによって辺境へとこぼれ落ちた世界を文学で描くことでもあるわけです。ユジノサハリンスク、ポロナイスク、オハ。こうした辺境を歩きながら、世界の輪郭をなぞり直すことで、そこに暮らす人々の生の情景が立ち現れる。黒川さんのこの本は、Google時代の紀行文学とは、近代そのものを問い直す可能性に満ちた文学のことなのではないか、と僕たちに教えてくれるのです。

 中心にある国家権力によってかたち作られた辺境は、権力によって弾圧を受け続ける地域でもあります。例えば、新疆ウイグル自治区。中国政府による弾圧が騒がれるこの地域の北部にアルタイという放牧地帯があります。たくさんのカザフ族が遊牧生活を送る土地です。この外界と断絶している辺境の世界に、一人の作家が足を踏み入れる。踏み入れるどころか、一緒に生活をする。そんな大胆な紀行文学が、李娟『冬牧場』(河崎みゆき訳、アストラハウス)です。

 作者がお世話になるのは、中国語がなんとか伝わる一家なのですが、彼らが住んでいる家が僕たちの想像が追いつかないような住居なのです。地窩子という地下の家は、大地に穴を掘り、羊の糞で固めて作るもの。この地窩子は、氷点下30度を下回るこの土地に暮らすカザフ族の、不屈の精神が産んだ生きるための要塞でもあります。「「羊のフンに埋もれた生活」――聞いた感じはとても受け入れられそうにないが、実際は羊のフンは本当に大切なものだった。それは私たちの砂漠の中での唯一の建築材料であるばかりでなく、何にも代えがたい建築材料なのだ――つまり、あの寒くて長い冬の間、動物のフンぐらい神秘的にも、絶えることなく熱を発してくれるものはなかった。」と李娟さんが書いているように、この家は生活の知恵そのものなのです。

 この紀行文学の魅力は、極寒の地にたたずむ作者が、その研ぎ澄まされた五感で世界を捉えるところです。「寂寥」というふた文字がすべてを表す広大な荒野の情景。苦難を耐えながら生き、やがて屠られる家畜の生命の叫び。おばさんが作る民族の伝統料理に漂う馥郁たる香り。静かな空間を笑顔で満たす悪戯好きな主人の諧謔。孤独な世界で寄り添い合う、家族の幸福な肖像。

 そういうぐあいに作者はアルタイの世界を切り取っていきます。そんな李娟さんが見つめる荒野の情景がとにかく美しい。作中に散らばる次のような文章の数々は、この土地の生命のきらびやかさを確かな質感をもって、僕たちに教えてくれます。

黄昏の長さを私は表現することができない。夕日が西の空に重々しく沈んでいって世界が金色になるとき、夕日が完全に地平線に沈んだ後の透明な輝き、そして星が現れ輝きだし、世界がどんどん深くなっていくとき――この時間帯に、私たちは多くのことをした。お茶を飲み、牛を追い、乳搾りをし、羊囲いに戻って来る羊たちのために「布団」を用意して、晩御飯の用意をする。何度も北の砂丘に上って、羊の群れが戻って来る方角を遠く眺め……、そしてまた遠くから戻って来る羊たちを迎えに行き……、またゆっくりと羊と一緒に家に帰って来る……。

李娟『冬牧場』

アルタイという辺境の静かな美しさは、生命の美しさです。生命の屈強さのあらわれです。そこに生きる人々は、孤独でありながら、不屈でもある。李娟さんは書いています。

私とカーマ(注:一家の娘)は砂丘の上に立って、黙ってラクダの数を数え、財産がどのくらいかを考えながら、長い時間彼らが遠ざかって行くのを見送った。何もせず、何も言わなかった。彼らの更新は堂々としていながら孤独だった。荒野の中では彼らがいちばん不屈だった。

李娟『冬牧場』

 やはり、この作品も作者がこの土地で出会ったカザフ民族の人々を「いきいき」と描いている。国家権力のある中央から離れた、辺境の生を解像度を上げて眺めることで、僕たちの世界の輪郭はまた、変容する。そしてその体験からは、同時に、いま、国家権力が何を迫害し、弾圧し、何を意固地になって守ろうとしているのかが、わかるはずです。「いきいき」とした辺境の人々のたたずまいは、僕たちの日常という中心、近代がかたち作った中央の価値観を疑わせ、世界という言葉の持つ意味をいま一度、考えさせる、そんな力を持つものだと、僕は思っています。


6、紀行文学の新たな可能性

 さて、今日考えてきたのは、辺境とは現在どこにあるのか、辺境を体験するとは文学的営為にとっていかなる意味を持つのか、ということでした。最後に、そうした辺境をめぐる紀行文学とは別種の作品を紹介させてください。

 わかしょ文庫さんの『うろん紀行』(代わりに読む人)という本は、小説をめぐる旅を綴った随筆です。笙野頼子『タイムスリップ・コンビナート』、永井荷風『濹東綺譚』、古川日出男『ベルカ、吠えないのか』、高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』などなどといった作品を読みながら、物語が隆起する土地をわかしょ文庫さんが歩く。ここでは旅そのものが読書となり、また、読書をすることで物語の世界を旅することになる。一風変わった紀行文学として『うろん紀行』は書かれています。

 例えば、笙野頼子『タイムスリップ・コンビナート』はマグロと恋愛する夢を見ていたある日、突然、何者かから電話がかかってきて、海芝浦という駅へ行かされるところから小説が始まります。わかしょ文庫さんはこの物語に突き動かされ、海芝浦を訪れる。でも、待っていたのは必ずしも感動ではありません。

なんか思ってたのと違ったな。雨に濡れ、とてもではないが座れそうにないベンチを見やりたいのだという絶望をひしひしと感じさせてくれるところ。『タイムスリップ・コンビナート』における海芝浦駅は、まさにそういった場所として機能していた。だがどうしようもなくレジャー感、あるいはアミューズメント感が漂っていた。わたしはたどり着いてしまっていた。

わかしょ文庫『うろん紀行』

そんな残念な感慨を覚えながら、海芝浦を歩くと、ふと、わかしょ文庫さんは気づきます。

それに、つや消しの加工を施された銀色の改札はどこにあるのだろう。柔らかなフォルムを持つ近未来の改札。それに、真っ昼間だというのに煌々と光を放つ、迫り来る城塞のような工場は。そんなものはどこにもありはしなかった。本物の海芝浦駅にもなかったし、『タイムスリップ・コンビナート』のどこにも、そのような描写はなかった。それらは、わたしが勝手に作り出していたものだった。わたしは何を読んでいたのだろうか。(中略)でもわたしが、連なる文字たちに連れてきてもらったと思っていた海芝浦駅は、わたしの頭が勝手に作り上げたまぼろしだった。記憶や他のフィクションとごちゃまぜになり、全く別の海芝浦駅ができあがっていたのである。

わかしょ文庫『うろん紀行』

ここからわかしょ文庫さんは、ある確信を得ます。それは「小説とはそもそもが、そういったものなのかもしれない」ということ。「まるで電化製品の取り扱い説明書のように、懇切丁寧な描写がなされていても、読者は違うところにたどり着いてしまうのかもしれない」ということ。そして、その確信は次の問いを生み出していくのです。

であるならば、人はなぜ小説を書くのだろう。なぜ小説を読むのだろう。それは無謀な試みなのに。決して同じ場所にたどり着くことはできないのに。小説は、本当は、読まれるときの現象としてしか存在し得ないのだ。

わかしょ文庫『うろん紀行』

 この問いを、本を読むこと、文章を書くこと、そして旅することによって確かめたい。それが、この本の書かれた動機でもあるわけです。僕はここに、本を読むことの本質が言い当てられていると感じました。物語を現実のものとして経験することはできない。そこに書かれていることは、読むということでしか追体験できない。いくらテクノロジーが発達して、遠くのものが近くなっても、辺境のブラックボックスが透明化されても、文学作品の内側にあるリアリティを現実のなかに発見することはできない。紀行文学とは読むことでしか味わえない旅を体験させるために書かれているのではないか。そう、わかしょ文庫さんの先の文章は、僕に思わせてくれるのです。

 わかしょ文庫さんは永井荷風の『濹東綺譚』を読んで、その舞台となった東向島(東京スカイツリーの近辺にある街です)を歩く。ここにある玉の井は戦前、私娼窟の立ち並ぶ街で、荷風はそこを「ラビラント」と名付けました。しかし、『濹東綺譚』における玉の井という楽園は、荷風がいささか誇張して描いたものであり、わかしょ文庫さんはこの近代文学をファンタジーと評します。そして、東向島を歩きながら『濹東綺譚』を読み終えると、認識が揺さぶられる感覚を受けるのです。

物語の幕引きが、わたしたちをファンタジーの世界から現実へと引き戻す。本を閉じた途端にわたしたちは、ラビラントの玉の井から道が整備された清潔なつまらない街へと帰ってくる。『濹東綺譚』の玉の井は汚い部分に目をつむり美化された近代だ。言葉によって永久に封じ込められた標本だ。

わかしょ文庫『うろん紀行』

 僕は以前、小説を読み、そこの舞台を歩くことで、認識の揺さぶりが起き、そこから物語をより深く理解する問いが生まれることについて論じました。(「本を読んで現実を歩こう ――「読む」と「プロジェクション」」『読書人カレッジ2022』所収)そこで僕は、「本から現実へ、そしてまた本へ。この往還。読書とは、現実から問いを取り出すための、一つの手段としての行為」であると書きました。

 わかしょ文庫さんは『うろん紀行』のなかで、まさに現実と本の往還を試み、そこから読む/書くという行為の創造的な営みの意味を掴んでいるのです。そして、そこにある物語の現実との隔たりをこの本はじっと見つめているわけです。

 だとするなら、こうは言えないでしょうか。つまり、物語こそが、僕たちの日常から最も離れた場所、すなわち辺境であるのだ、と。読書とは辺境を旅する行為そのものであり、そのブラックボックスを覗くことは、現実を知り直すことでもあるのだ、と。

 紀行文学とは何かを考えながら、今日はここまでたどり着きました。Googleのような絶対神が世界に君臨する現代にあっても、きっと紀行文学は、物語は書かれ続けるでしょう。辺境はいつの日も、読まれることを待っています。

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