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「週刊金曜日」(2024年7月19日号)にサマル・ヤズベク『歩き娘 シリア・2013年』(柳谷あゆみ訳、白水社)の書評を書きました。

 サマル・ヤズベクは複雑な世界の語りがたさ、描きづらさを熟知し、けれども、絶望と諦念の淵に落ち込むことなく、現実と釣り合う言葉を探してきた作家です。以前、僕はこの小説家のノンフィクション・ノベル『無の国の門』を読み、打ちのめされたのをおぼえています。シリアという国の現実を物語として再構築し、その惨状をありありと、そこに生きる人々をいきいきと描いたこの小説家は、これからの世界にとって必要な人物なんじゃないかと思いました。(この小説についてはこちらでも触れています。)

 わからない世界をどう綴るか。紋切り型の物語では見せられない光景を、いかにして伝えるか。そのことを考え続けたサマル・ヤズベクは、日本での新作『歩き娘』でその答え探しを一人の少女に託します。

 物語の舞台は、二〇一三年のシリア。内戦の続くこの国では、随所で政府軍による包囲戦が展開されていました。少女もまた、封鎖された状況から抜け出せなくなる。

 実はこの少女には一つ、変わった身体的な特徴があります。それは、歩くのが止められないということ。自分の意思に反して、足がずっと動き続けてしまう少女は、母親や兄に紐でつながれて生活している。この小説はそんな彼女が、この不条理な世界に生きる上で抱える閉塞感を二重にも三重にも映し出していきます。

 書評には次のように書きました。

作者は、正常の埒外に追いやられる個人であり、女性であり、シリアの市民である少女が被る、社会/国家からの抑圧を三重に映し出す。近代社会が達成したはずの自由がかの地では人々の手にはないことをそれによって訴え、私たちの世界を眺める解像度を変調させるのである。

 では、作者はその抑圧をどう描いたか。詳しくは、書評、そして小説をお読みください。

 中東文学を精力的に翻訳している訳者の柳谷あゆみさんのお話も面白いので、ぜひ下記のインタビューをお読みいただけると、この作品の理解がグッと深まります。


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