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ハリネズミの孤独はシナモンの香り
麦わら帽子が空を飛ぶ朝にあなたがわたしから奪ったのは名前だった。
生まれつき天使であるあなたがいうには、ここにもうわたしの居場所はない。あなたはわたしの名前をつかむとためらうことなく投げ捨てた。わたしは子供の名前に偽装した。目深にかぶった帽子で人目を忍び、ハリネズミの穴に逃げこんだ。
夏の日にあなたはわたしを見つけた。十六日ものあいだ太陽は沈むことをやめ夜に譲らなかった。機銃掃射の雨が氷砂糖でできたわたしの評判を溶かした。帽子のつばから滴る雫を舐めると甘かった。わたしは蜘蛛の巣についた水滴を数えた。傷つかない天使であるあなたがやめろというまで。もう雨がやんだことにわたしだけ気づいていないようだ。
わたしは自分の口から乳歯をむしりとり天に投げた。
展示室ではまだわたしに気づいてない天使が自分とは無縁であるはずの死と向かいあっている。手に持った仔ウサギの耳を切り落としながら。
わたしは彼女が知らず知らずのうちに振りまいたあどけなさを拾いあつめて袋に詰めこんだ。覗きこんだそれは西瓜味の水ーー。
どうしてこんなものばかりつきまとうのだろう。いつまでたっても逃れられない。どうしたら離れることができるのか。わたしが欲しいのは邪気や裏切りや不誠実や虚栄心なのに。
やむことのない天使であるあなたはその長い腕をわたしに巻きつけた。こうしてわたしを出し抜いたわけだ。あなたは水の柱になってわたしを縛りつける、傷のつかない程度に。ここにも甘さがある。わたしはまだじゃれていたい天使の腕をほどいて抜けだした。
わたしは地中から持ち帰ったハリネズミの孤独を夜にさしだした。シナモンの香りがした。盲目の路上歌手は宴が終わったことに気づかずに残骸の散らばるテーブルの前で歌いつづける。金屏風の前をあまりにも多くの酔客が通りすぎる。烏骨鶏の卵を踏みつけながらの行進だ。わたしはこれからやさしくなることを予感した。
わたしはすすきの穂先を月明かりに浸して別れの言葉を書いた。
これはまださようならじゃない。だけどやりきれない天使であるあなたはわたしのもとから離れようとしない。
別れの前のわずかなあいだ、まだ大人になりきれない天使が言葉にならない先走った悲しみを届けにくる。
迎えにくると約束してわたしは夜のミルクに溶けていく。もうとっくに眠りについている天使であるあなたの枕元に木いちごの蒸留酒を置いて。
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