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上杉満代『メランコリア-Mの肖像-』@シアターΧ

「舞踏とは何か?」という問いが長い間自分の中でずっと意識の底で流れていた。
自分が20代の頃、90年代後半から2000年代前半くらいは、自分と同じ若い同世代の多くの人が舞踏の世界に飛び込んでいった。自分が映像作品を作る上での交流も多かったし、公演を観に行くことも多かった。その後しばらく遠ざかっていたが、「舞踏とは何か」ということを改めて考えてみたくなった。

舞踏は、表現というよりも、存在論なのだと思う。いかに「立つ」か。どこに「立つ」か。そして、いかに「在る」か。どこに「在る」か。
もう一歩考えを進めてみる。
「舞踏は死者としてそこに立つことなのだ」と思う。土方巽の「突っ立った死体」という言葉を思い出した。また、大野一雄はニューギニアでの従軍経験、俘虜経験があったと聞く。無慈悲な偶然がやすやすと自分の隣の肉体を無意味に打ち砕いてしまうような体験を多くしたのではないだろうか。死者と生者の境界線が一気に近接する時間。「戦後文学の作家は、生き残った人間が死者に代わって語らなければならないという使命感を持っていた」というようなことを埴谷雄高が言っていた記憶がある。大岡昇平、武田泰淳、島尾敏雄といったひとたちもそうだろう。舞踏の生まれた時期も戦後文学と重なる。舞踏に共通するあの白塗りと構えの形姿は、死者がそこに立ち、語っているように見える。

もう一つ、「舞踏は原初に還ろうとする姿」であるようにも思える。
フォルムを形作る以前の身振り、立とうとして立てない身振り、うめきや蠢きを想起させる身振り…
舞踏は原初を感じさせつつも、土着性のようなものは感じない。ルーツとなりそうな民俗芸能、郷土芸能、伝統芸能が見当たらない。(郷土芸能に多く見られる反閇の動きは影響としてはあるかもしれない)
舞踏はやはり現代の表現だ。自然から離床し、近代的自我に目覚め、構築され、やがてそれに縛られた息苦しさから、自分たちが生まれきた原初に還ろうとする…原初への希求、祈り。しかし近代的自我を持ってしまった人間が原初にたどり着くことは不可能だろう。舞踏とは原初への希求と、そこにたどり着くことの不可能性との摩擦の間に生まれた火花のようなものかもしれない。

そして上杉満代さんの舞踏。上杉さんはどこに立ち、どこに在るのだろうか。
前半のうち、映像では上杉さんの精神、倫理や理性、日常的意識の秩序が壊れてゆく姿が描かれているように思えた。その後舞台に現われた上杉さん。その蠢きは少しずつ肉体の機能が崩れていき切り離されていく過程のように感じた。「これは死に近づいていく身体だ」と思った。
畳が一枚現われた。上杉さんと距離を置いて、対峙し合っている。臨死体験で意識が浮遊し、天井から畳を見ている姿のように思える。その浮遊感も長く続かず、残酷な重力の力に抗えず、畳の上に落ち、身悶えているように思えた。「生者としてそこに在り、死に近づいていく身体」だと思った。
後半は位相が変わる。死に向かっていくような身悶えは感じない。これは死者としてそこに立っている…のだろうか?どこに立っているのだろうか?自分の中で問いが続いた。大野一雄を感じされるような動きや姿を所々で感じた。しかし純粋にオマージュ、というわけでもないように思える。問いが続いたまま着地することがなく、公演は終わった。その時は腑に落ちないまま会場を後にした。

帰り道、ふとある考えが頭をよぎった。上杉さんは死者としての大野一雄と対話し、大野一雄を纏い、大野一雄と交感し、融け合っていたのではないだろうか、と。生者として死に近づき、死者をそこに呼び寄せ、交わり合う。上杉さんの舞踏はあくまでも「生者の側に立つ」舞踏なのだとその時に思った。

タイトルにある「メランコリア」は何に対するメランコリアだろうか。生者と死者はひととき接し、交わるときがあってもやがて彼岸と此岸に引き裂かれ、共にいることはできない。シャーマンは神と交わり、天空を浮遊したとしてもやがて神は自分のもとを去り、シャーマンは現世に取り残され、哀しみのなかで神を想う。能「隅田川」でも、ようやく死に別れた我が子の霊と会えた母親の脇を、子供の霊はすり抜けていき、哀切の中で母親はそこに取り残される。上杉さんのメランコリアはひととき自分とともに居た死者が、自分のもとを去っていった哀しみによるものなのだろうか。しかし舞台ではそうした死者との離別が描かれたように感じられず、死者と交感し続けた幸福感のまま終わったように思えた。答えが出ないまま、また問いが続いている。

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