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「協働」できる「武士」となれ

息苦しい雰囲気が終息しないまま、今年も端午の節句を迎えようとしている。

武士と言えば、平安末期から始まる武家政権、そして戦国時代のイメージが強い。

教科書では源氏と平氏くらいから武士の話がでてきてそれ以前というのはあまり日の目を見ない。しかし、一夜にして、世の中を変えるようなビッグネームが登場するわけではなく、もっと前から武士の元になるような人たちが水面下で動いていたはずである。

「もののふ」、「つわもの」、「さぶらい」、と呼ばれるような人たちは、肩書きがあった。

しかし、それだけじゃなくて、アウトローな世界で中央権力と分離していた一族もいるだろうし、農民の中から自分の田畑を守るために力を付けた者だっていただろう。

藤原氏が税を取り立てて相変わらず良い暮らしをしているころ、庶民は生きることもままならないような世の中。なんだかおかしくなってきたという空気を察知して、それぞれが自分を守るために武芸を磨いた。

現代の武士になれ!

そんなことを想像すると、何もかも不安な昨今。僕らが生き延びるために、武士になるという選択は必要かもしれないということを考えた。

もちろん、現代で生き延びるために腕力は必要ない。刀で人を斬ることではない。

生き抜く為のスキルを身につけて行くことが、遠くない未来、とても需要になるように思う。

「生きるため」というと、自分でお金を稼げることと解釈する人がいるかもしれないけど、僕が言いたいのはそういうことじゃない。

価値の交換

「お金」は、価値を交換するときにそのポテンシャルを一時保留にするアイテムだが、それは国の信用の元に成立っている。今までは当たり前だと思っていたことが、心のそこからは信用出来なくてなってきた。

まもなく10万円が紙くずのように配られるらしい。厳しい状況が続いてくると、一過性の対策ではなくて、継続的な支給が必要だという声も上がっている。

目先の10万円は、庶民にとって嬉しいものだ。僕だってお金が余っているタイプの人間ではないので、とても有り難いことには違いない。

でも、不気味じゃないか。自分が社会貢献して価値提供していないのに、降ってくる10万円って。

この先どうなってしまうのか。
日本の年収の中央値(平均じゃなくて)が360万円とも言われているけど、物価が3%上がったら(つまり貨幣価値が下がったら・・)10万なんて、あっという間に吹っ飛ぶんだよね。1年後にはなかったことになる。僕らの生活はなにも改善しない。

お金の信用が落ちると、どういうことが起きるか。

誰かの価値を自分のものにするためには、自分の価値を誰かに提供する必要がある。

それは、本当はお金の世界でも当然のことだけど、意外とその感覚はボケてしまっている。お金のために価値を提供し、お金さえ払えば価値を得ることができる経済の仕組みになれてしまったからだ。

自分自身を磨くことで成立つ協働

この先、世界が乱れても、自分が生き延びるために殺し合いをするようなことにはなって欲しくない。この場におよんで平和ボケかもしれないけど、そうならないよう願いたい。

ならば、武士のような精神で、現代に磨くべきことは何か。

それは、本当に、社会貢献できるスキルだ。誰かに「ありがとう」と言われる物やサービスを提供できるスキル。

組織や団体が・・ではなくて、個人各々が、そのような意識持つべき時期に来ているんじゃないかと感じてる。

公の支援も大切だし、会社などに所属している人は、日頃の奉公の御恩を今こそ受けるべき時かもしれない。でも、媚びてはいけない。あてにしすぎると、共倒れになる。

自己責任論ではない。
繰り返しになるけど、誰かのためになるスキルを個人が磨くのだ。

将来的にも、日本銀行券が正しく機能していれば、社会貢献度に応じて、一時的にお金に変換される仕組みは続くだろう。

帝国データバンクや東京商工リサーチのサイトを見ればよくわかるけど、多くの会社が、恐ろしいスピードで倒産している。日本まるごと、再編成が起きているのだ。

社会貢献度に見合わない収入を、惰性で貰っていた人がいたら、一気に淘汰されることになる。

だからこそ、1人ずつが力を付け、その価値を次に手を組む人とシェアして社会を育てていかなくてはいけない。

それが、「協働」という考え方だと、僕は捉えている。

さて、自分はあなたに、何を提供できるのか。


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