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やってみたいことに出会うとき

僕は精神年齢がかなり遅咲きタイプで、いわゆる「中二病」の症状をアラサーくらいまで引きずっていた。そのまま30歳を過ぎると、生きるエネルギーだけを失って、人生が総崩れになっていった時期がある。

今でも中二病の後遺症が残っており、「オレすげー」「なんとかなる」という感覚を常に持ち合わせていて、病的に自己肯定感が高い。

なので、あまり過去のことに後悔するということは少ないのだけど、色々な失敗を踏まえて、DNAをアップデートして継承したいという想いはある。

人生のやり直しを子どもに押しつけてはいけない

(精神年齢が・・)大人になってやっとわかったのは、時間は貴重だということだ。限りある寿命を消費して過ぎさった時間は二度と帰って来ない。

おまえばかじゃねーの?と思うかもしれないが、本当に、数年前にやっと気付いた。これが、もし20代・・せめて30歳くらいに気付いていたら、どんなに人生変わっていただろうか、と思うことがよくある。

「時間は大切だ」という話を子ども達にすること自体は悪くないと思う。でも、そのことに早く気付いた方がきっと良い人生になるだろうとか、今することはもっと大切なことがあるんじゃないか?ということを、いつも問い続けるのは、親のエゴだということを自覚している。

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自分だって、相当無駄な時間を過ごしてきたわけだけど、それに気付いてからは、過去の時間を取り返すような勢いで倍速で生きているという感覚がある。

そう。物理的な時間は二度と帰って来ないが、生きるスピードは進化できる。失敗なくして、今の自分があっただろうか。

そう考えると、なんでも先回りして、自分の人生のやり直しを子どもに押しつけるというのは、良い事とは言えない。

人生トータルで幸せになってもらうには、死なない程度に失敗してから、「ちくしょー、そういえばオヤジが言ってたな」と思われるくらいにほのめかしておけば十分だとも思う。

やりたい事がわからない

進学や就職を考える年頃になると、よく聞く悩みだ。
ところが、小学5年生の長男が急にこんなことを言い出した。

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それは、将来設計をしたいとか、どんな職業に就くかそろそろ目標を立てたいとか、そういう崇高な悩みではない。

「何していいかわからない」と、漠然と、なんだが的を射ない話をするのだが、色々話を聞いてるうちにやっと意味がわかってきた。

学校の勉強も困ってないし、友達とも仲良くやってるし、普段している遊びも楽しいけど、世の中には自分の知らないもっと、とても面白いことがあるんじゃないか?ということを考えているのだと察している。

これがやさぐれた中年だと、「趣味のあるやつはいいよな~、オレなんか毎日オフィスと家の往復だ」みたいな、言い方になるのかも。

長男が言いたいのは、たぶんそういうことだ。

ご縁はなぜか繋がる

長男がいう「何かやってみたい」にこれと言った答えを出せずに返事をまってもらっていた。なんの脈絡もなく、これをやれと具体的なものを勧めるのもおかしな話だし。

その、複雑な心境はうまく転がせば、きっと良い方に転がる確信だけはあった。

そのタイミングで古い音楽仲間からLINEがあった。今年は久しぶりに昔のメンバーで集まってセッションしませんか?という誘いだった。

実は、次男と末娘はけっこう音楽遊びが好きで、うちにある楽器を触っては、ちょっとした曲を弾けるのだけど、長男だけはなぜか楽器を避けているようだった。下の子達よりあとに練習することをプライドが許さなかったのかもしれない。

セッション仲間が頻繁に集まっていたのは長男がまだゼロ歳児だった頃だった。あれから10年になる。

「友達が集まるので、練習して1曲くらい一緒に弾いてみない?」と誘ったところ、珍しく乗り気になった。色々楽器を物色して、今のところオクターブマンドリンがしっくりきてる様子。

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まあ、飽きたら飽きたでいい。しかも、こういう珍しい楽器は、ギターやピアノと違って、けっこう上手くなっても友だちには理解されにくい。
下手なりに参加できたら、大人達にちやほやされちゃうだろうし、きっと楽しいだろうね。

オクターブマンドリンがどのくらい弾けるかという結果はどっちでもいいけど、小さなチャレンジは、きっとまた次の世界の扉を開けるだろう。


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