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年賀状を出さなかった理由と、その後

2022年がスタートしました。

今やリアルの知り合い、ネットの知り合いというものがシームレスになりましたね。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、日本人が長年大事にしてきた習慣、年賀状のお話です。
あなたは今年の年賀状、どうしましたか?

僕は大人になって初めて年賀状を出しませんでしたが、辞めただけではありません。心を込めて1年がかりで対応します。

新年の挨拶という大きなくくりで考えると、その形は多様化していますね。

年賀状の他にも、電話する、会いに行く・・・というのはありましたが、Eメールが普及してきたころから少しずつ状況が変わってきました。

とくに、この1,2年、意図的に「年賀状を卒業」する人が増えてきたようにも思います。惰性で出し続けていた人たちが「今年で最後にします」と書き添えているのを目にするようになりました。

LINEのような短いメッセージでやり取りする人も多いでしょうし、この機会にメールを出したという人もいるかもしれません。個別には送らずに、FacebookやTwitterで新年のご挨拶とともに、年賀状的な画像をアップするというのもひとつのあり方でしょう。

我が家の年賀状

親しく年賀状を交換していた人はよくご存じのことかと思いますが、僕は年賀状に、とてもこだわりがあったんですよ。

  • 家族全員が写っている写真を使う

  • 家族のこの一年がどんな様子だったかわかるテキストを入れる

  • 見た人が楽しめような工夫をする

そんな条件で、雑誌の表紙風にしたり、映画のポスター風にしたり、高度な合成でストーリー性を持たせたりと、知恵を絞ってきました。

ビジネス用と分けたこともありましたが、お客様や取引先とだって親戚や友人のように付き合いたいという思いがあって、送り先を問わずプライベート用の年賀状で統一していました。

仕事の性質上、毎年秋から年末に掛けてというのは忙しくなってしまうのですが、その中でも時間を割いてきました。

ペーパーレスは正義か

今ではどの業界でも「ペーパーレス化」が謳われていますね。

僕は基本的にその流れに賛同していて、紙は極力減らすべきと思っています。
ただ、全ての紙を闇雲に廃止するべきとは思っていません。

最初にペーパーレス化するべきは、業務書類です。

内部的な日報、顧客名簿、対応記録などは真っ先にやりたいところです。

あとは、伝票、案内文、通知文、これらを社内配布とか、郵送で送るなんていうのは本当に無駄しかありません。一度パソコンで打ったものを、プリントアウトやコピーをして封筒に入れる手間と労力がかかるうえ、届いた方もその管理と処分という手間を強制的に課せられます。

ただ、相手がいることなので、双方がメリットを感じないと難しいこともありますね。先方が高齢者であったり、体質が古い組織であったりする場合です。

環境面の議論というのは難しいです。
ペーパーレスによって削減できる木材よりも消費するエネルギーの方が地球に対する負荷が大きいかもしれません。そのあたりの議論は掘り下げたことがありませんし、ここでは横においておきますが・・

少なくとも、人的リソースは削減した方が生産性が上がることは間違いないですね。

だとしたら、年賀状もペーパーレスにするべきなのでしょうか。

紙媒体の力

では、紙の方が勝っている部分はないのかということを考えてみます。

今では珍しくなりましたが、ときどき手書の手紙をもらう機会があります。
「ときどき」といっても、LINEやメールの通知に比べて少ないというだけで、僕はかなり多い方だと思います。

僕が手紙をよく書くので、その何割かはお返事をもらうのです。

仕事で数珠の修理品を預かるときに、いっしょに一筆書いてくださる方も多いです。単なる依頼文のこともあれば、時候の挨拶から近況報告、こちらの様子伺いと、完全に手紙の体をなしていることも多いです。

手書かどうかは別としても、その人が自分の為に掛けてくれた手間自体がプレゼントという意味合いが含まれていますね。

年賀状の話しに戻ると、年賀状は用件を伝えるための通信文ではなく、かけた手間と気持ちがプレゼントということは言えると思います。

たぶん、郵便局も最後の力を振り絞って年賀状を推すとすればこの部分でしょう。

はがき一枚15分

僕は普段からハガキをよく書くんですよ。

名刺をいただいて住所がある場合はたいてい書きます。
用事がなくても、ふと思いだした方に書くこともあります。

そんなわけで、リアルで繋がっている方はご存じの方も多いですが、超絶字が下手です。だから始めは苦行だと思ってやっていたんですね。文字を書くのは今でも苦痛です。でも、苦しいことはきっと自分のためになると思ってやっていました。

きれいかどうか、読める字なのか、という仕上がり面の点数は別として、数をこなせば、サラサラと書けるようにはなります。

ざっと、1枚15分ってところでしょうか。

同じような感じで、年賀状を100枚書くとしましょう。

1枚15分の計算で行くと、25時間かかることになります。
3日間フルタイム出勤するくらいですね。

先述の通り、けっこう凝ったものを作っていましたので、全体の仕込という意味ではそれくらいの時間はさいていたかもしれませんが、送り先に1人を思って書いたのとは少し違います。

もらって嬉しくない年賀状もある

先に断っておくと、個人的には「嬉しくない年賀状」はひとつもありません。どんな内容であれ、一手間+切手代をかけて送ってくれたものですから。

しかし、世間では立場によって見たくないと言われている年賀状もあります。

完全に義理

ぜんぜん付き合いはないのに、惰性で年賀状だけ繋がっているような人。
仕事上の付き合いなんかだとありがちですね。

子どもの写真のみ

「自分の子どもがかわいいのはわかるけど、あなたのお子さんには昨年お世話になってない」という意見。まあ、確かに。

晩婚化でDINKsが増えている昨今、子どもの写真は意外と地雷ということもあるかもしれません。僕も子どものみではなく、自分たち夫婦も映っているファミリー写真を毎年使っていましたが、相手によっては嫌味に感じていた可能性はあります。(それが原因かわかりませんが、独身の方は次々と辞退されてしまいました。)

ペットの写真のみ

子ども写真と同じような理由ですね。
飼い主にとっては家族も同然。僕は動物を飼っていませんが、「我が子も同然」といわれたら気持ちはわかります。

同居の家族がいなければ、自分一人の写真も気恥ずかしいし、ペットの写真ならとなるのは、自然な流れですけどね。ただ、飼っていない人にとってはわからないという意見もあります。

幸せそうな年賀状は賛否

嫌な世の中だなと思いますが、他人の幸せは見たくないという風潮は確かにあるかもしれません。

妊婦さんが街中で意地悪されたり、美味しい食事や楽しい旅行の投稿をすると妬まれたり、「幸せそうだから」という理由で通り魔のターゲットになってしまうということは実際にあることです。

自慢する意図はなくても、そのように受け取られてしまうことはありえます。それが、年賀状だとしたら悲しいことですね。

年賀状をやめた・・そのあと

「年賀状って今時あまり意味ないよね」って思っている人は多いと思います。

新年のご挨拶という通信手段としては、あまりに不合理です。意味が無いどころか、無駄が多すぎます。

しかし、ペーパーレスの現代だからこそ「紙の力」というのはあって、僕は普段から大いに「紙の力」にあやかっています。

でも、年賀状にあまりにネガティブなイメージがつきまとってきましたので、この先どうしようかと考えていたのです。

昨年も12月に入った頃には、まだ出すつもりでいましたが、あまりに仕事が立て込んでしまったこともあって、思い切って辞めました。

でも、そんな僕の不義理な心境をしらずに、年が明けると例年通りたくさんの年賀状は届いてしまうわけです。

遅めの年賀状を慌てて送ることはしません。

これから1年がかりで季節を問わず、皆さんにハガキや手紙を書いていこうと思っているのです。

おめでたいから挨拶をするわけでもないので、相手の喪中を気にする必要もありません。

お元気ですか?新緑の季節ですね、毎日暑いですね、紅葉がきれいですね・・・って、たった15分でも1人ずつのことを思い出しながら、書くハガキの方が、勢いと義理で出してしまう年賀状よりもよほどお互いにとって有意義だと思うのです。

もちろん年賀状がなくても、ふと思いだした方には出すことは今後もあると思います。

あなたは年賀状どうしていますか?
もう辞めてしまいましたか。今後も出し続けますか。

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