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不登校について考えた

うちは、3人の小学生がいる。もし、今後、不登校になったらどうしようかな、ということを急に考えた。

とにかく学校にはちゃんといかないと人生終わり、みたいな価値観はもう無いかもしれない。でも、実際には格差が広がるばかりで、不登校になったら当然のように、篩から落とされてしまうだけのような気がする。

気になって調べてみた

実は、色々な文章を参考にしたが、はっきりとした解決方法は見つからないというのが正直なところだ。

高校進学自体を諦める必要は無いという類いの記事は、ウソは書いてないと思う。しかし、現実的なところで、中学で不登校になったあと、地元のヤンキー校に入って、その後の人生が開けていくのかというと、それは正直疑問である。進学すればどこでもいいというものではない。

不登校になると、どんなに優秀でも上位校には進学出来ないのか

中学校から高校入試の場合は、都道府県によっても違うらしいのだけど、北海道の場合は、各学年の5段階評価から内申ランクを算出して、入試の点数と合わせて評価されるとのこと。

基本的には自分が中学生だった30年前とあまり変わってないのかな。

それはそれで、普段から真面目にやった子と、そうでない子が、それなりに評価されるのでいいのかもしれないけど、不登校になったらどうか。

ほとんど学校に行って無くても、例えば、定期テストだけは受けに行って、それなりの点数だったら、相応の評価をしてくれるのか。その辺は、たぶん学校と相談ということだろうね。

ほとんどの情報では、学校に行かない子=勉強もできないという前提で書かれており、事情があって学校に行けなかったものの、とても能力ある人材が社会に出て活躍するかという情報は乏しい。

経済産業省の「未来の教室 ~learning innovation~」は、中でも興味深い活動をしている。

麹町中学校校長の工藤勇一先生が、今や一躍有名人だが、その著書の中で未来の教室のイベントの中で出会った子の興味深いエピソードを紹介していた。こちらは不登校のことだけを書いた本ではないが、画期的な方針で中学校を運営している先生で、興味ある人は一読して損はない。

不登校はなぜ起きるのか

不登校の原因の所在を特定するのは難しい。学校というシステム、たまたま同じ学年になった同級生、その時の先生、その他、心も身体も大きく変化する時期に、いろいろな原因が想定される。複合的な場合もあるだろう。そして多くの場合、「どうして学校にいきたくないの?」と本人にたずねると、「わからない」と答えることが多いという話を聞く。

原因がわかっているときは解決の方法も模索できるが、「行きたくないから、行きたくない」それ以上に理由がないというのであれば、「行かない」以外にできることはない。

我が家のリアル

うちの子達は、基本的には、病気やケガをしなければ、毎日元気に学校に通っている。ただ、本当に具合が悪いのか、休みたいと訴えることがある。頻度に差はあっても3人ともときどきある。

朝の時点で、お腹が痛いとか、頭が痛いとか・・たぶんそれはウソではない。でも、明らかに今朝はエネルギー不足だなというのが、顔を見るとわかる。

こんなことが頻繁ではないが、2~3ヶ月に一度くらいある。
これが何日も続き、とうとう一ヶ月を超えるようなことが不登校と呼ばれているだけで、一見すると普段は元気に登校しているような子達も、だれもがその可能性は持っていると思うのだ。

ちょっと寝不足気味とか、前日の過ごし方によっては、疲れが抜けてないということもあるし、精神的な甘えが前面に出ていることもある。うちの場合、そういうときは遠慮無く休ませる。本人が乗り気になれば、2時間目から行ったっていい。

そのやり方は、今のところ問題無いと思ってるし、極端な話、「登校日」と「積極的サボり日」の割合が逆になっても、大きな問題では無いと思っている。

あとは、冒頭で述べたように、そうやって休ませてしまった責任で、子ども達の未来が制限されるようなことがあったら申し訳ないということを考えて、少し調べてみたのだ。

どの子にもチャンスを

昔と違って、貧乏人は公立落ちたら終わりというわけでもなく、私立に行っても支援制度がある。あと5,6年のうちに、大学のありかたもどのように変わってくるかわからない。

色々な特性を持った子も、それぞれの道で活躍できるような世の中になってきたなという感覚はあるが、まだまだ当面は、ボンボン✕良い子ちゃん=エリートコースに進めるという公式はそう簡単に変わらないのだろうなと思う。

別に、うちの子ども達に下剋上を狙えと願っているわけじゃないけど、親の収入(つまり僕自身の稼ぎ)が子ども達の未来を制限するという現実と、どう闘ってやろうかということは、いつも考えている。

「学校にはちゃんと行った方がいい」という漠然とした感覚があるが、半面、学校で習うことでは生きていけないということも、いつも思う。

僕は、学校がダメだというつもりはないし、集団で学ぶメリットもたくさんある。そして、一応毎日そこに、楽しく通っているように見える。

それでも、もし「行きたくない」って言われたときのリスクヘッジとして、それは想定の範囲に入れておくべきだと思っている。

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