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小さな兆候を見逃さないために

破壊された教科書と続く嫌がらせ

娘が学校で、教科書をめちゃくちゃに破られるという衝撃的な出来事がありました。犯人は分かりません。「いじめ」という言葉を使うのが相応しいかはわかりませんが、少なくとも、いじめの小さな兆候ではあるでしょう。

はじめは、誰でも良かった相手としてたまたま被害にあったのか、または個人的にターゲットにされているのかもわかりませんでした。

しかし、これは偶然の出来事ではなく、その後も消しゴムが折られるなど、明らかに意図的な嫌がらせが続いています。最近、学校内での不穏な動きが増えており、トイレのいたずらや、周囲に捨てられた鉛筆や絵の具といった報告が相次いでいます。

以前にも教科書がなくなる事件や、リコーダーが学校周辺に投げ捨てられるといったトラブルが続いたこともあり、これらは氷山の一角に過ぎないと感じています。

学校の対応と親としての考え

この事態を受けて、学校に報告を行いました。幸いなことに、学校はこれを深刻に受け止め、いくつかの対策を講じてくれました。

娘の私物を先生の棚に預かってもらったり、クラスメイト一人ひとりから事情を聞くといった対応をしてくれています。しかし、それでもなお、放課後の帰り際にトイレに寄った娘が、図工で作った作品を潰されるといった被害が続いています。

私が学校に伝えたのは、娘自身が大きなダメージを受けているわけではないが、犯人捜しをすることが解決に繋がるとは考えていないということです。

むしろ、学校全体の雰囲気が良くないことを、先生も感じているのではないでしょうか。

同じような嫌がらせが他の子どもに向けられた場合、1回の嫌がらせでも大きな精神的ダメージや不登校につながる可能性があること、そしてすべての親が理解しサポートしてくれるとは限らないことを指摘しました。これにより、子どもが逃げ場を失う可能性が高まることが一番の問題です。

親に買ってもらっている私物が壊されたり、無くなったりすると、場合によっては被害に遭った子が、逆に責められる可能性さえあります。

小さな兆候を見逃さないために

小さないじめやいたずらは、決して放置してはなりません。しかし、監視を強化したり、犯人捜しに固執することで、学校全体の雰囲気がさらに悪化する可能性もあります。

こういった問題に対して、PTAの役割である保護者と学校の協働、そして地域全体のつながりがますます重要になってくるでしょう。

このようないたずらを放置すると、将来的には他人の心や身体を傷つける行為に発展しかねません。実際に旭川での事件のように、命にかかわる事態に発展する可能性もあります。

地域社会での小さな歪みを見つけたら、地域全体で関わっていくべきだと考えています。

学校というシステムは、教師や生徒が数年ごとに入れ替わるため、問題が解決されないまま繰り返されることが少なくありません。教育システムの抜本的な改革は期待できそうにない現状ですが、現場からの変革が必要だと感じています。例えば、不登校児童が過半数に達するような事態になれば、社会が本気で向き合うきっかけになるかもしれません。

幸いなのは、一連のことを、娘本人は淡々と受け入れて、たいしたことではないと理解してくれていることです。

また、被害者に対して、「隙があるのでは?」「恨まれるようなことを誰にしてるのでは?」という問い詰めを全面的に否定する人がいますが、被害者に100%問題がなくても、やってしまう人というのは一定するいるものです。

加害者が悪いのに、どうして被害者が我慢しなくてはいけないの?と言いたい気持ちはよくわかりますが、それでもどこか狂った人に狙われる可能性はいつも考えておいた方が良いと思っています。

それは学校だけでなく、大人の世界でも同じです。娘が悪いとはもちろん言いませんが、狙われない工夫も生きて行く上でこれから大事になるよということを話せるよい機会となりました。

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