目に見えた不調は・・
最近、歯医者さんの書いた本を読んでいて思ったことがある。
お医者さんの本って、僕は好きで割り読むことが多いんだけど、ある程度メディア向きっていうかね。
振り切ったことを言わないと、その文章は商品にならないっていうのは、あるんだろうな・・くらいの、前提で読んでいる。
賛否あると思うので、この本自体の詳しい書評は避けるけど、一理あると思うし、読みやすく内容も画期的で面白かった。
批判してる人は、エビデンスに乏しいって意見が多いけど、医学的エビデンスなんてのは、あくまで統計的なデータであって、最後は自分で試す以外わからないというのが僕の考え。これは歯に限らずなんでもね。
タイトルの通り、虫歯は自然に治るよって話。
その中で興味深いのは、歯の不調は、他の不調と繋がっていることが多いということが書かれていた。
食生活で内臓に不調がでると、歯も悪くなるということ。
逆に言うと、虫歯が多い人は、内科系の疾患や、精神疾患も気をつけた方がいいということね。
これはね、確かにそうだと思うんだ。
見える不調、見えない不調
僕は、学生の頃に一度身体を壊して、原因はストレスって言われた。
当時は絶好調に寝ないで遊びほうけて、やりたい放題なんでもやって、ストレスなんて微塵も感じていないつもりでいたので、医者の言葉は理解に苦しんだ。
冷静に振り返ると、その不摂生が身体にとっては、相当なストレスだったんだろうな。
深夜に緊急手術をする前は、最近、腹が空くと胃がキリキリいたいなーくらいに思っていた。その日もラーメンでも食えば直るって思ってたのが、大変なことになってしまった経験がある。
社会人になってからは、咳が酷くなった。
下手すると一年の半分くらい、酷い咳を患っていた。
病院代を稼ぐために身体を壊して働いているみたいに感じた事もある。
その後、素晴らしい漢方の先生との出会いがあって、今はとっても調子が良い。
どんなに強い咳止めを処方されても直るものじゃなかったのね。
見える不調の裏には、見えない不調が隠れている。
身体の健康だけじゃなくて
それは、身体の健康だけじゃないよね。
心理学で有名な、割れ窓理論というのがあるでしょ。
あれの場合は、割れている窓を気にしなくなると、次々と悪いことへ気づきがなくなり、治安が悪化していくというもの。
地域、学校、団体などが健全な状態かと考えたときに、逆のパターンもあり得るような気がする。
例えば、学校の窓ガラスが割れる(それが不可抗力だとしても)ということは、既に、学校にわかりずらい問題が生じていると言うことは考えられないだろうか。
もちろん、ガラスが割れたことが、見えない問題の必要十分条件になることはないが、可能性としてはあるような気がするのだ。
うっかり食器を割ってしまったとき。本人はただのうっかりだと思っていても、どこか体調が悪いとか、疲れが出ているとか、家族内で不和があるとかね・・そういうの有るんじゃないかって。
気になることがあるときは注意サイン
だからね、虫歯にならないためには、結局全身(心も含めて)の健康が大事ということのように、身の回りで気になることというのは、見えないところが既に悪い状態になっていないか、注意しなければいけないね。
家の中に壊れている部分があるとか、トイレが汚れているとか。
気になることがある。
部屋は慢性的にあまり綺麗なほうがじゃないので、単に片付ければ良いということじゃなくて、自分の生活がどこか悪いんだということも考えるようになった。
僕は、「整える」という表現がとても好きだ。
病気を治すとか、強く、健康にというのは、悪いことないと思うんだけど、いくら咳止めを飲んでも治らなかったことを思えば、大切なのは、自分を「整える」こと。
それは、家族というユニットでも、仕事というカテゴリーにおいても、「整える」という感覚は大事にしたい。
そう思うと自分のこと、身の回りのこと、「そのうちにね」って思っていた目に見えて気になること、色々あるなぁ。
きっと裏にあるであろう見えない原因を解決しなくては。
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