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プラスチック展


以前から使い込まれてクタクタになっているプラスチックたちがとても気になっていました。

経年変化して擦れた様子、色とか透明感の鈍った感じとかがとても好きです。これはうまく説明ができません。何度も説明を試みたのですが、うまく表現できません。

もしかしたらこれは僕の「育ち」の話かもしれません。

長岡家には本当に質の高いものがありませんでした。とにかく大量生産された日用品を食品スーパーの中でついでのように売っている生活用品コーナーでほとんど買われていたと思います。もらったものなどはとにかくずっと使う。両親の好みとかは特になく、とにかく捨てない。

それを愛おしくはその時は思っていませんでしたが、大人になってそうして身近にあったものたちとリサイクル屋のガラクタコーナーで出会うと、本当に懐かしく思うのでした。「あっ、うちで使っていたのと一緒だ」と。要するに、うちは一般的にこだわりのない低所得の家庭でした。なので、日用品としてうちのような家庭にたどり着くということは、とにかく安く、手軽で壊れない。付加価値の少ないものでなくてはなりません。

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もしかしたら本物の漆のお椀や、名のある陶芸家や産地の焼き物などで育ったら、ちょっと違っていたかもしれません。

つまり、僕の中にある「安物」「大量生産品」に対する見方が、普通と少し違うのだと思います。

わからないなりにもう一つ言えるとしたら、僕は学がありませんので、生きていくためには「自分の見方」をしっかりと持たないといけないと、小学生の時から思っていました。小学生の頃から学がないと意識するなんておかしな話ですが、自分が頭が悪いとしっかり認識していました。

だから、頭のいい人には敵いませんので、そういう人とは違った生き方をしなくては対等に生きられません。なので、育ちのいい生活品のことはそういう人たちに任せて、そういう人たちが絶対に見向きもしないもの。
簡単に捨てられてしまうようなものに、自分独特の美意識とはまた違う「ものの見方」をしたいと強く思っていました。

そうして近くのあるガラクタ屋に通い始めた頃、とにかく価値がありそうなものには、とことん関心がありませんでした。

その頃、もし古道具坂田さんなんかを知っていたら、全てを捨てて弟子入りしたかもしれません。とにかく悩むことなく、自分の小遣いで買い込んだものが、当時住んでいたマンションの部屋に入らなくなり、現在の世田谷の東京奥沢本店の物件を借りました。それがD&DEPARTMENTです。

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いまでこそ「ロングライフデザイン」というスマートなテーマとしていますが、僕の中では今も「はっきりと価値のない」「量産されて特別扱いされていない」「業務用品にあるそっけない感じ」として買い付けなどをしています。

ロングライフデザインは正直、格好つけすぎな言葉。デザイン業界的な言葉です。
もっと生身の生活の中で使うには、本当に何にも感じないくらい、普通に周りに転がっているような言葉で呼ばれるべきで、そういう特別に美しいものをなんとも思っていない国は、本当に文化度が高い。デザイン先進国とはそういうところを言うのでしょう。日本はまだまだ「デザイン憧れ国」だと思います。

もらっても嬉しいとも思わないし、そもそも、それをプレゼントしようなんて思わないものが、とにかく大好きです。

これをある方角から見たら「一生もの」とか「ロングセラー」とかいうのでしょうが、僕の本音はそんなところにはやっぱりないのです。

余談ですが、D&DEPARTMENTは立ち上げメンバーの一人、斎藤善与という男と何かと作りました。

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特に店内の陳列。
当時から禁止していたのは「ディスプレス」「什器」です。逆に手本は「倉庫の風景」とにかく「お客さんに買わせよう」とか「危なくないように」とか、そういうことになってはいけないと、立ち向かっていました。

なのでただ並べただけだと、どうやって使ったらいいかわからないから、提案のシーンを作ろうなどという「ディスプレイ」する精神が、本当に嫌いでしたし、現在も店内音楽を禁止しているのは、「楽しい買い物」「買い物をそそる」みたいなことにならないようにしています。

無音の中で、店内のそんな様子に心をざわつかせて欲しい。衝動買いなんてして欲しくなく、自身の目でしっかりと選んで向き合って欲しい。そんな思いからの本当にシンプルな環境、すなわち「倉庫」を目指しています。今も。

倉庫の風景をショッピングの風景と重ねるような配置は、本当に難しく、ついディスプレイのような、つい、意識的に並べてしまったりする。欲が出るわけです「もっと格好良くしたい、整えたい」と。その邪念がある売り場のシンプルな美しさを削いでしまう。

本当に効率のことだけを考えて、格好とか関係なくものを配置していく時に現れる格好よさ。それはなかなか人の手では作り出せない。置いてある商品もそういう考えでしたので、とにかく「あぁ、こういうの、ホテルにあるね」とか主には業務用です。

業務用は格好をつけている場合ではなく、とにかく丈夫で欠品しないこと。

安くて大量に作り、モデルチェンジなどしない。そこには業務としての価値はあっても、日常に質を求めるような暮らしにこだわる人からは全く意識されないもの。そういうものが、とにかく好きでした。

ある時、「民藝の思想に似ていますね」と言われたことから、僕は40歳を超えてようやく日本民藝館とかに通うようになったいくのですが、確かに民藝と表面的にはとても似ています。つまり「用の美」と「業務用」は、共通点が多い。しかし、民藝を勉強していくうちに、圧倒的に違うとわかります。

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それは「美」です。

民藝とは、「美しい」ものを見たり、作ったりできる「心」の話。

僕が好きなこうした業務用のようなものには、果たして「美」など存在するのか。

先ほど「圧倒的に違う」と書きましたが、正直、まだわからないのです。もしかしたら「美しい」かもしれない。もしかしたら、そうしたなんでもないものの中に「美」のようなものを見たい、あるのかもしれないと思いたいのかもしれません。

話は変わります。

今回の企画展への歩みには、2つの大きなきっかけがあります。

一つは金沢のガラス作家の辻和美さんが誘って企画してくれたこと。これは2018年に岐阜の陶芸家でありギャルリももぐさ主宰の安藤雅信さんが誘ってくれて実現した「もうひとつのデザイン」展の生まれ方と同じです。二人ともに見えた「ナガオカケンメイというちょっと変わった視点」に興味を持ってもらえたこと。本当に嬉しく思います。

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そして、もう一つは僕は今、1年のうちの累計2ヶ月を沖縄で暮らしているのですが、ギャルリももぐさでの展覧会の作った図録の中の一枚の写真を覚えていて、「それと同じものが大量に捨ててある」と、沖縄で友人が連絡をくれたことです。

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その写真とは、昔から気になっていたプラスチックの経年変化を僕的に代表するもので、しかし、多くの経年変化したプラスチックとは、壊れるので使い続けているか、捨ててあるか多くはどっちかなのです。

写真にある通り、このプラスチック鉢、通称「プラ鉢」は、めったに壊れず、安価ですぐにホームセンターで手に入る。派手な装飾などは不要で、そこに植えられるものこそが主役であり、彼は脇役ですらないのです。

僕はずっとこの経年変化したプラ鉢をD&DEPARTMENTで大量に売りたいと思っていました。もちろん、儲けてやろうなどと言う発想ではなく、そんなどうしようも無いものが、大量に並んでいる風景とは一体、どんなだろうと、ワクワクするのでした。彼らは本当に素晴らしい。ただ、彼らプラスチック製品のことを私たちは心のどこかで「長期使い捨て品」と意識しているところに問題があり、その意識は当然、環境を汚し自然にも(土に)還らない地球に優しくない素材、製品と思いこみさせられてしまっている。

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プラ鉢の話に戻しますが、前記した通り、大抵のものは使っています。それはそこらの街中のいたる所で、玄関で、店頭で、ベランダで使われています。
それを「すみません、新しいものと交換しますから」と、交渉するのも不気味がられること間違いありません。しかし、どうしても欲しい・・・・・。

そんな気持ちから、せめて図録の中にだけでも写真として掲載したい。そうしたことで収まっていた1ページをその人は覚えていてくれて、教えてくれて、僕はその持ち主に会いに行き、約80鉢を手に入れ、沖縄のベランダに保管し、ものすごい高い送料をかけて静岡の自宅に配送し、静岡でリペアをして、金沢に持ち込むわけです。

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ロングセラー「ナガオカケンメイの考え」の続編として、未だ、怒り続けているデザイナー、ナガオカケンメイの日記です。

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あの「ナガオカケンメイの考え」の続編です。基本的に怒っています。笑なんなんだょ!!って思って書いています。

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