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「あまちゃん」の頃

今、NHKBSで「あまちゃん」が再放送されている。本放送がちょうど10年前で、それを記念してのもののようだが、10年前とほぼほぼシンクロするように流れているおかげで、私も10年前の今頃を振り返らなくてはならない気分になってしまった。

10年前は高校3年生だった。卒業後の進路をそろそろ決めなくてはならない頃だったのだが、私の場合はそう簡単にはいかなかった。私の意向は進学だったが、家族は断固就職、ということで意見が噛み合わなかったのである。結局、私が折れる形で就職活動を始めたが、そもそも私に見合った仕事というものが全く見当たらない。なので、私でも出来そうな仕事を探す、がまず前提になった。

だが、それでは何も上手くいくわけはなかった。おまけに、いざ就職活動が本格化したところで、専門高校に通っている生徒の方が圧倒的に有利、私に勝ち目はなかった。

就職試験に落ちたところで、ハローワークの進路担当者にも散々いびられた。鋭い目で睨みつけられながら、説教を延々と受け続けた。言われようのない、とまではいかないのかもしれない。私に足りないものは、色々とあっただろう。でも、その時の私は、やれるだけのことをしていた。じゃあどうすればいいんだ、と私は言いたかった。けれど、言う余裕すらなかった。精神的にすり減っていく中、求人票の紙の量も次第に薄くなっていく。もう負けを認めろ、と言わんばかりの有様だった。

結局、私の就活は大失敗に終わり、卒業後は1人悩み続ける期間が数年にも渡って続いた。その間に、ふらりと長岡技科大や新潟大学など、我が地元新潟県内のあらゆる大学の大学祭に足を運び、自分が選べなかった青春をふと垣間見ることもした。けれども所詮1人は1人。この期間、全く他人とのコミュニケーションが無かったわけではない。だが、同世代との交流が一切なかったことは、結果として今も禍根を残している。

それから10年が経って、つい先日、高校の頃に美術を教えてくれた教師が開いている個展へと足を運んだ。実の所、この教師の個展には10年間、毎年のように通っているので、思い出話に花を咲かせる、という訳ではないが、しかし、今年はやはり、10年前の今の話をせずにはいられなかった。

そんな話をしていたところに、教師の、別のかつての教え子とその夫が共にやってきた。実は私の今の職場の別の部署に勤める人だったので少なからず驚いたのだが、その人は近頃マイホームを建て、今はお腹に子供がいるのだという。私も話にふと耳を傾けていたが、やはり、羨ましかった。幸せになって欲しいと思うと同時に、あぁ私も、あの夫婦のように幸せになりたい、と思った。

私の人生は、まだこれからである。それは確かなのだけれども、しかし、これまでの10年は、私の人生のこれからに益になるようなものがあったかというと、時折疑わしくなることがある。魔の数年間を超えて、その間に得られなかったものを沢山吸収はして来たが、それでも、何も得るものがなかった数年間の損失は、今でも尾を引いていて、私を苦しめている。

今、再びテレビには「あまちゃん」が流れている。朝早い時間の放送なので、放送時間に自転車を漕いだりしていた当時とは違って何気なしに見ている。デジタルハイビジョンの映像は、当時と今との境目を曖昧にする。けれども時代は確実に動いている。あの頃私は18歳、今の私は28歳。

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