令和六年元旦のこと

 令和六年の元旦は、おそらく生涯で最も忘れられない元旦になるだろう。こんな元旦なんてもうないだろう。「そう願いたい」。それほど、苦しくて悲しい元旦だ。正直な今の心情である。

 周知の通り、今日の午後4時10分、石川県で震度7の地震が起きた。新潟県長岡市でもかなり大きい揺れがあった。長岡市の最大震度は6弱だが、これは同じ長岡市でも中之島地域の震度だ。とはいえ、私が住んでいる地域でもどこか頷いてしまうほどに揺れは強く、目の前が真っ暗になるような思いをした。

 私はかつて中越地震、中越沖地震を経験している。小学3年生の頃、ちょうど夕食どきに起きた前者の記憶はかなり印象に強い上、わずか数年後、記憶がまだおぼろにすらなっていないうちに後者にも遭遇することになり「何故?」と計り知れない恐怖を感じた。

 そんなこともあって、地震が起こるたび、過去のトラウマが呼び起こされる。東日本大震災をはじめ、東北地方で発生した地震の中にはこちらまで揺れがもたらされた時もあったし、2019年6月には村上地域で地震が起きた。その時も、かつての不穏な記憶が容赦なく頭をよぎった。

 だが今回の地震はこれらの比ではなかった。その時ちょうど直前に起きた地震について報じていたNHKのニュースを見ていたが、中継で流れていた石川県珠洲市の映像が大きく揺れて停まった時、直感的に「まずい」と思った。緊急地震速報の地域が石川、富山、新潟……だけでなく、かなり広い地域を示した時、私の顔はみるみるうちに青ざめて震えた。

 そしてやはりと言わんばかりに揺れは強く、私は「なんで?」と口に出していた。「なんなんだよこれ」というようなことをふと口に出していた。地震がやんでも、私の体はしばらく震えていたし、胸が一気に苦しくなっていくのを感じた。

 私はこのnoteという場所では、元旦には、何かしらのことを書いては「書き初め」として出している。だが、今日の所、そうしたものを書ける心境ではない。
 元旦早々に、重苦しい空気が全てを呑み込んでいる。明るい話を、自分を誤魔化してでも書こうという気になれない。それほどの恐怖が今、心に張り付いて、離れてくれようとしない。
 だから、今日の記録をこうしてそっと綴ることにした。

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