FMPORT。新潟県全域で放送していたFMが、一九年と六ヶ月で幕を閉じてしまった。

 あまりものショックで眠りにつけなかった。と、思うがままにこの一行を書いたのが二〇二〇年七月一日午前一時過ぎ。場所はいつも通り新潟県長岡市。この一時間と少し前、とある放送局が消えた。

 
 FMPORT。新潟県全域で放送していたFMが、一九年と六ヶ月で幕を閉じてしまった。

 残念だ、と思う。ただし、この残念とは単なる残念ではない。ほとんど怒りで構成された残念、である。では何が残念なのか。それは、私たちが閉局のニュースが流れてからの三ヶ月、何をしてきたのか、と言うことだった。

 結局、いつもの「閉店」のノリでこの時を迎えてしまった、としか言いようがない。「仕方がない」「残念です」「今までありがとうっていいたい」これって、何処かで聞いたことがあるぞ。そうだ。イトーヨーカドー丸大が閉店したときも、三越が閉店したときも、こうだったよな。

 また同じ事を繰り返した。

 しかも、スーパーや百貨店が無くなるよりももっとレベルが違う。だが、感覚が全く同じだった。あまりにも諦めが良すぎる。無論、諦めの良さが必要なときもある。いや、ほとんどの場合がそうだろう。だが、今回に限っては逆ではなかったか。メディア、カルチャーが一つ消えるというのに、易々と受け入れ、そしてバイバイしてしまった。

 果たしてこれが東京だったらどうだっただろうかね、と思う。知人にそんな話をしたら、「いや、東京の方はもっと淘汰が激しいだろう」と返された。まぁそうかも知れない。だが、新潟に比べれば随分ましであろう。東京は消えた分以上のものをまた作り上げてしまう。いや、それ以前に早々にクラウドファンディングなどを行って、生き延びるための道を何とか模索していっただろう。そうではないかも知れないが、いずれにせよ東京というのはとにかくカルチャーを大事にする場所だと私は思う。

 だが、新潟はそうではなかった。一つのカルチャーが消えようとしても、平然と「前へ進もう」とする。前に進むのは大いに結構であるが、しかしあとは何もしない。結果、消えたものは消えたまま、何も変わることはない。これでは人口流出が止まらないわけだ。

 話変わって、昨今の新型コロナウイルスで、地方に関心が高まっているそうだ。テレワークなどの活用が進むことで、「首都圏にいる必然性」が低くなっているとも言う。実際に新潟県でも、ITベンチャー・フラーの社長の渋谷修太さんががUターンしたことがちょっとした話題になった。それは一時的な現象にとどまるかも知れないし、このまま地方が見直される機会になっていくかも知れない。

 けれども、私は今、新潟県のこの有様を見て、かなり不愉快になっている。そして危機感を抱く。こんなにあっさり、県域のラジオ局を閉局させてしまうようでは、果たして新潟にUターンする人が増えるものだろうかーー。

 さて、その渋谷さんはFMPORT閉局間際、Twitterで次のようにつぶやいた。上手くリンクが貼れない為、引用でご容赦願いたい。

FMPORT、こんなに愛されてるんなら何かしら生き残る方法があった気がしてならない。
インターネット、クラウドファンディング、県民参加型の番組づくり、、(以下省略)

 ーー渋谷さん、それは、ずっと前、四月に閉局のニュースが出たときに言うべき言葉だったはずです。

 三ヶ月もあったのに、結局何をしていたんですか。ーー

 何にも出来なかったところで所詮は私も同じなのだと悔やみながらも、何だかもやもやするものだけが残った。

 

 FMPORTは閉局してしまった。さて、私たちはここからどうすればいいのだろうか。私は自問する。答えは出ない。だが、明らかに言えるのは、「全国で初めて県域局を閉局させてしまった」傷は、新潟の印象に悪影響を与えるであろうと言うことだ。そこから脱却するために、どうか、県民一人一人が事の大きさに気づいて、新潟のカルチャーを盛り上げていってくれたらと心から願う。

 

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