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【長岡雑記帳】駒形十吉記念美術館に、新潟県の文化芸術の立ち位置を思う

 かつて長岡には新潟県のフジテレビ系列であるNSTのスタジオがあったという(1968〜1991)。スタジオが新潟市に移るに当たり(その後、2004年に現本社に再移転した)、NSTの経営に関わっていた駒形十吉氏が個人で収集していた美術品を公開する場所として建設を決めたのがこの駒形十吉記念美術館だ。この場所にNSTのスタジオがあったことは、現在もすぐ隣に長岡支社があることから分かる。

 駒形氏は元々長岡出身。NST以外にも大光銀行を経営していたり長岡商工会議所会頭を務めたりと、長岡の実業界に残した業績が数知れない人物でもあった。そんな彼が好んでいたのが美術品。美術館のリーフレットによると、若い頃に日本画家・横山大観のアトリエを訪れた事がきっかけで美術に関心を持ち始めた様だ。何事にも出会いは欠かせない、と言うことは今も昔も変わりはない。

 この美術館以前にも、駒形氏は長岡現代美術館を1964年から1979年まで運営していた。現在の〜記念美術館が日本画中心であるのに対し、現代美術館の方は前衛芸術が中心であったという。様々な事情で現代美術館の所蔵作品は閉館後、一部(大光コレクションと呼ばれ新潟県立近代美術館に所蔵されている)を除いて県外に出てしまった。新潟県の文化芸術が置かれている“ある種の無関心”的状況は今の方がタチが悪くなっている様に思われるが、この当時もそうだったのかも知れない。前衛美術こそ散り散りになってしまったが、その前後に駒形氏は日本画を収集し愛蔵。そして1994年にこの駒形十吉記念美術館を建てるに至った。

 個人のコレクションによる美術館であるだけに、展示されている作品も性格が良く表れている。これを書いた2021年10月現在開かれている「駒形十吉生誕120年Ⅲ〜平山郁夫との出会い そしてコレクション充実へ〜」では平山郁夫氏の作品が主に展示されているが、シルクロードの各地や仏像を描いた作品が際立っている。そこに居るだけでもアジアの各地を眺めているかの様な愉しさだが、これもまた個人収集だからこそできたセレクトなのだろう。

 今回の展示は「コレクション充実へ」だけあって、駒形氏と文化人との交流も焦点に充てられている。良くも悪くも、という事にはなるのだろうが、この展示も含めて美術館自体が、実業界が文化芸術に関心を持つ事の重要性を考えさせるものになっている様に思われる。ただしそれは、2020年のFMPORT閉局という文化的事件を経験したからこそ改めて思うこと。しかも決め手になったのが、大口スポンサーの撤退だったのだから事は更に重大だ。現在の新潟県において、文化芸術はどういう立ち位置に置かれているのだろうか、という不安は日に日に増し続けている。

参考資料:駒形十吉記念美術館リーフレット
    父・駒形十吉の思い出(駒形千代子著、個人出版 2020年)

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