37歳、可能性と悲鳴
「こんなはずじゃなかった」
37歳を超えるあたりから、そう思うようになることが増えました。
1つは同世代の友人たちの結婚。そう、最近同世代の友人たちが次々と結婚していくのです。
私はSNSなどで、それを知るたび、お祝いしたい気持ち以上に、悲しいような、胸がぎゅっと締め付けられる思いに駆られます。
「自由」なようでいて「自由」ではない時代
そう、今は昔と違って、「自由恋愛」「自由結婚」の時代と言われています。
でもそれは、翻ってみると「自分で選ばないといけない」と、ほぼ同意語だと思うのです。
「自由」の名のもとに、「結婚」というものを手にすることができなかった私は、「負け」なのでしょうか。
テレビCMでは、それがさも当たり前かのように、結婚して子どもを持ち、幸せそうな家族像が流れています。
あれ?「自由」なんだよね? ここでもう一度自分に問いただしてみます。
どうして「独身でも素敵」なんて女性は出てこないのか。でも「独身」であっても幸せに生きている女性だって、たくさんいるはずです。事実、そういう友人は少なからずですがいます。
でも、出てこない。
それはある意味、「独身」=「不幸せ」という含みがもたれているからなのではないでしょうか。
「結婚=幸せ」という既成概念
ドラマやテレビ番組でも「独身か既婚か」ということがつくづく話題にのぼります。
もう一度確認します。 あれ?「自由」なんだよね?
そう、実は「自由」なようでいて、「結婚=幸せ」という既成概念に縛られていると思うのです。もしかして、いや、私もその概念に縛られているのでしょう。
ここで伝えたいのは「結婚しなくてもいいじゃない」とか「独身で何が悪いか!」という開き直りではなく、人知れず私が抱え込んでいる苦しみです。
37歳、可能性と制限の狭間で
また、私が友人の結婚式や、家族の出ているテレビCMを見るたび、えもしれない悲鳴にも似た苦しみを感じるのは、37歳という歳だからというのも1つの理由かもしれません。
そう、多くの同世代の友人が結婚していくように、私にもまだチャンスはあるのです。
ただ、ここでまた「自由」の登場です。
「自由」であるからこそには、自分で結婚相手を探さないといけない。
でも、多くの男性が思うように、37歳という年齢は、非常に微妙な年頃でもあるのです。
なぜか? 子どもを埋めるギリギリのタイミングだと思っているから。
※もしかしたら「37歳じゃもう産めないよ」と思っている男性もいるでしょう。
微妙な年齢である理由の1つに、「結婚を前提として付き合わないといけない」という意識が男性の中にあるからです。すると、付き合うハードルは当然上がります。
さらに「結婚」を前提にして付き合うとしても、数年のお付き合いは必要でしょう。すると、結婚するのは39〜40歳くらい。私から見ても、そういう女性と付き合うのはちょっと躊躇してしまいます。
「自由」なようでいて「不自由」なジレンマの中で
「自由」なようでいて「自由」ではない時代。
「結婚=幸せ」の既成観念がある時代。
そんなジレンマの中、私は今を苦しんでいます。
「こんなはずじゃなかった」と、冒頭に書いたのは、そう私にも結婚するタイミングがあったから。でもなぜしなかったのか。
それは、「結婚」より「仕事」を結果的に選んでしまったから。
30代前半は、そのことを悔いてはいなかったけれど、37歳になり、自分の選択が間違っていたのではないかと思い始めています。
一方で「結婚」を半ば諦めている自分もいます。
まだ37歳。でも37歳。
この、可能性と制限のある微妙な年齢の苦しみを、今ここに残しておきたいと思います。
まあ、数年後に「結婚しました〜」なんて、お気楽に言っているかもしれませんけどね。