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poemes d'un jour 319

家の裏山で自然に実ったハヤトウリの写真を挟みつつ、今日も書いてみます。


埼玉弁護士会の会長さんが、ワクチンパスポートの差別について声明を出されました。

下のリンクに全文があります↓

簡単に結論を引用すると、

「ワクチンパスポート制度の導入は,法律上の根拠を欠くことはもとより,医学的・科学的にも実証的な根拠を欠いているのであるから,同制度の導入・実施は,前述のように憲法第13条,第14条及び第22条1項に反し,許されない。」(上記サイト会長声明より引用)

ということです。

この声は、全然取り上げられていないと思いますが、私はこれに同意なのでとても嬉しいです。こんな風にきちんとした方法で発言してくれる方が居て安心しました。

すごくありがたいです。

先日、懸念してシェアした人間としての権利が奪われてしまうこと(オーストラリア、ニュージーランド、アメリカの政府やマスコミの行き過ぎの動画)に関して、日本の未来を心配していました。
みんなどう思っているんだろうか?って。
自分はワクチンを打ったからと、打たない人が権利を奪われたり、打ちたくない人が権利を得るために間接的に強制されることに関して、もし「打たない人の自業自得」だと思う人が多かったら、日本も、あの海外の動画と同じ未来がやってくる可能性が少なくない。

コロナ以外他のことに関しても同じで、根拠なく自分と反対意見の人を叩いたらダメなんだと考えています。どちらの意見の人も心地よく暮らせる世の中を希望します。

こちらもほっとしたニュース↓

アメリカ政府の民間に対するワクチン義務化が司法により差し止められました。

司法が健全であること。
政治や科学や医療が利権にまみれ、マスコミの偏向報道、SNSの言論統制が横行していたとして、

あとは、警察と司法がどうなのかというところ。FBIは健全ではなさそうですが、司法が健全であれば救われます。

法は大統領相手にしても、勝つことが出来る。

大切な問題、みんなで考えたい。

ワクチンに関しては、もう治療薬もあるし、打っても感染したり死亡するワクチンに政府のこだわりが強すぎる面が気になります。しかも、もう大半の人が打ち終わっているのだし。今も感染者が多い理由が少数のワクチンを打っていない人がいるからという理由にするのはちょっと難しいのではないかなと思います。憲法違反をしてまで義務化を強行するほどの根拠はないのではないか。

(木の上まで蔓を伸ばして実をつけているハヤトウリ↑)


形が平等ならいいということではない。例えば、みんなが同じ収入という平等の形は、形だけ。無理に平等にすることは自由を奪う。

みんながそれぞれの意思でそれぞれ望む人生を生きられるというのが本当の平等だと思うので、勝手に同じ形に決めないでほしい。

人間、一人一人、意思がある。
周りに合わせるのが普通で自分には意思がないと思い込んでいる人も居るかもしれないけど、素直な自分の心に目を向けたら意思はある。

「日本人はみんなマスクをして素晴らしい」とかいう褒めかたはおかしいと感じる。言ってしまう雰囲気は分かりますが、そういう点ではそんな発言をした高市さんも人間の本質を分かってくれているのか不安になる…。「みんなロックダウンに従って素晴らしい」「みんなワクチンを体内に入れるのが素晴らしい」「ワクチンパスポート普及率が素晴らしい」「(未来)遠隔で健康診断を受けるために身体にチップいれて素晴らしい」などに発展するのは恐ろしいですね。皆同じことをするというのは、日本人の国民性の良いところでもあり、不安になるところでもあります。お金がかかることには反対するのですが、無料だとやってしまう人が多そう。消費税が上がるなどは決まったら仕方ないと思えるけど、身体に何かを入れることに関しては自由意志で決めたい。普通のことだと思います。

ただより怖いものはないと親に教わりました。

(どこまでも伸びて実をつけるハヤトウリ↑)

がんばって国民の代表になった方々は、一人一人が意志のある人間だということを忘れないでほしいな。真実は、国民という全体ではないんです。たぶん。

あってないような概念のような全体のために一人一人を殺すでなく、一人一人を活かして、結果全体がよくなるという方向性を模索するのがいいと思います。

これは、自分が生きていく中で感じてきたこと、音楽などやる上でもずっと考えてきたことです。

時間がかかり不満が出るとしたら、現実的にはとりあえず一時的に全員に現金給付をするしかないかもしれません。困っていない高所得者にはあとで返してもらったらいいと思います。

ワクチンパスポートもそうですが、マイナンバーをやらないと給付金が貰えないとか、卑怯なやり方はやめてほしい。

なぜなら、デジタル庁がAmazonやGoogleに管理されるという訳の分からないことになっているからです。中国じゃなかったら良いわけではない。

安心させてくれたら、自ら参加する。
だから、卑怯なやり方をやめてほしい。
ちゃんとやってくれたら、みんな幸せになる。
無理なことは、急いでやらなくていい。
納得させてくれるなら、信じて待つから。

(ハヤトウリとトマト収穫!)

一人一人の想いが一番大切という前提で、それを通用させるには、最終的には司法の力か。検事や裁判官がまともかどうかは人によるかもしれないけれど、政治や警察よりは開かれているし、正に議論の場。

民法から勉強をはじめて、今分厚いテキスト4冊目です。民法が終わったら、刑法を勉強して、その次に憲法をやる予定です。あと数科目あるのですが(全部で7科目?)、それとは別に選択科目を1つ取らないといけなくて、一番役に立たない国際法公法を選択しようと考えています。国と国との揉め事の法律です。まだまだ先だけど、色んな条約や判例が楽しみ。

維新と国民民主も協力して、憲法改正への動きが高まっています。憲法の勉強をはじめるまであと数ヶ月かかりますが、改憲の議論には間に合うと思うので、色んな意見を参考にしつつ、自分でも根本から考えることができたら…と思います。

まだまだ分からないことだらけだけど、法律を学ぶことの意味は分かってきました。ただの試験勉強じゃなくて、公平な視点と、公平、誠実、そんな判断能力のようなものを学んでいます。

法律は、文章はお堅くてややこしいけど、元々自分が感じていたような人間の心があってよかった。問題処理ではあるけれども、根本は心、人間とは、調和とはというところから来ていると今のところ感じています。

だから、私がやっている法律の勉強は、私が今までやっていた「音楽」と同じやなと思いました。

全然違うことを始めたわけではなかったことが分かったこの頃。



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