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【飯山】「禅と表現 行ったり来たり」してみた発表会

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10月30日、だんだんと寒さが身にしみるようになってきたものの、日差しの暖かな天候の下、NAGANO ORGANIC AIR 飯山の最終発表会の日がやってきました。
7月のワークショップで集まって以来、個々人でひたすら自分の表現と向き合ってきた皆さん。久しぶりの再会です。

正受庵に到着後、早速座禅。発表のことで一杯になりそうな頭をリセット、できているのでしょうか…?

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座禅を終え、個人の発表へと移っていきます。
まずは茶道でご参加の浦野文子さんから。
「皆さんにお茶を一杯差し上げたい」と、私たち一人一人にお菓子と共にお茶を立ててくださいました。

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↑小菅住職、横山和尚にお手前をしているところ

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茶道を続けて60年、お茶馬鹿なんです、と語る浦野さん。
茶道の中に建築があったりお花があったり書道があったり料理があったり。生活に関わる全てのことが茶道の中にあって、多くのことを学ばせてもらったのこと。
この場で、皆さんとお会いして、自分に何ができるのかと考えたときに、座禅を終えた皆さんにほっと一息ついてもらうためにお茶を差し上げようと思った、とおっしゃってくださいました。
これも立派な表現。生活と表現ってそもそも切っても切り離せないものだよな、と思い出させてくれる発表でした。

続いては小説で参加の田中ヒロオさん。自作の小説を、冊子にして持ってきてくださいました。(トップ画像になっているのがその冊子です。)
↓思い思いの場所、姿勢で熟読しているところ。

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7月のワークショップで話題に上がった色々な場所をご自身の足で巡って、その時見た風景や感じたことを元に作品を書いてくださいました。
この企画のタイトル「禅と表現 行ったり来たり」から、ページをめくる毎に場面や視点が行ったり来たりする、個性的な作品でした。
「普段小説は一人で書くものなので、こうして色んな方と集まって、しかもお題を与えられて書くという初めての経験をさせてもらえてよかったです」と語ってくださいました。

続いては書道の高嶋真由美さん。
「お庭でやってもいいですか」とおっしゃるので何だろうと外へ出てみると、作品が庭に展示されていました。
まずは『千字文』。中国の梁という王朝の時代(502年〜549年)に作られた千字から成る漢文の長詩のことで、古来より漢字の習得や書の手本として使われてきたものです。いわゆる四字熟語が250個並んでおり、その中で同じ漢字が重複して使われているということ一度もありません。死ぬまでに一度は書いてみたいと思いつつ大変すぎるからとそのままになっていたところを、この機会にやるしかない!と一念発起し、挑戦したそうです。

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そしてもう一つ、自由、という文字。自分にとっての自由を考えたときに、私はこのサイズになった、とのこと。
また、そのバックにはピアノの音が。ピアノ教室の教え子さんと即興で演奏した曲とのこと。お手本がある書道と、即興で弾くピアノ。色んな自由の形があるな、と感じたそうです。

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自由というお題に向き合ってみて、この作品が答えなのかどうかはわからないけど、決められた千字を書くという秩序の中でも自分なりの自由があって、秩序があった方が自由で、その方が自分にとっては心地よい、という気付きにはなったと語ってくださいました。

続いて「私もこのお庭でやりたいです」と手を挙げてくださったフルート奏者の渡辺幸絵さん。ご自身で作曲してきた曲を演奏してくださいました。

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「雪、ひとひら」という曲。「演奏が終わったらしばらく周りの音に耳を澄ませてください」という一言があってから始まったのですが、フルートの音色に反応して鳥や虫などが鳴き出し賑やかに。そして逆に終わってからはシーンと静かになるという、不思議な体験となりました。
渡辺さんも「自由とは何か」という問いに向き合ってみたそうで、でも演奏者としての「自由」と一人の人間の人生における「自由」とが、どうも一致しなくて悩んだそうです。「人生における自由なら全てを捨てることも自由なのかな、と思ったんですけど、演奏者としての自由は、技術や知識を得ていくことなのかもしれないと思いました」と語ってくださいました。

続いては室内に戻り、俳優の五十嵐優さんの発表。
ご自身で書いてこられたとあるテキストをパフォーマンスしてくださいました。

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↑20分を越える熱演でした!
不思議な物語で、一体何の話だったのだろう、と圧倒されていると、
3年前に実際に見た夢を書き留めたものなんだと説明してくださいました。
今まで感じていた感情や五感は一体何だったのだろうと思ってしまうくらい、この夢の中で大きな感情や五感を体験したとのこと。
今回「自由とは何か」という問いに向き合っていくにあたって真っ先にこの夢のことに思い当たったそうで。その夢の強烈な体験を通して自分や他人について何度も何度も考えて、答えははっきりと出なかったけど、色んなことに想像力を働かせられることが自由だ、誰だってどんなことを思ったっていい、自分は自由だし、誰だって自由だと思えた、その体験を私たちにシェアしてくださいました。

お次は同じく演劇で参加の蔭山あんなさんのパフォーマンス&展示です。
準備に取り掛かると共に「準備中…」という不思議な音声と音楽が流れ始め、道具たちをきっちりと並べていきます。

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↑パフォーマンスが始まり、道具の説明をしていく蔭山さん。

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↑最終的にこうなりました。
7月に座禅体験をした際、お堂に入って座るまで、きっちりとした作法があって、その後に座禅がある、という体験をして、その時に強く自由を感じたそう。
その自由を表現するために、自分が秩序となって、自分の中にある自由を解放してあげる、というコンセプトの元、「井の中の蛙」ということわざに着目し、「蛙」を放流する、というパフォーマンスを作った、と話してくださいました。
具体的には百科事典の中にある蛙の写真たちと、「か」「え」「る」の文字を切り取って外に出してあげて、最後ばら撒いていました。(説明が本当に難しい…!)
その他にも百科事典にある色んな言葉や写真を切り取って、百科事典そのものの秩序や、言葉の元々の意味を壊して解放する、ということもやっていました。
蔭山さんらしい視点と工夫が光る発表となりました。

そして最後に、NOA飯山滞在アーティストの柴幸男さんの発表です。
新作の戯曲を持ってきてくださいました。

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東日本大震災から10年の節目に仙台で上演する戯曲を書く上で、震災を実際に経験していない自分が何を書けるのかとずっと悩んでいたそう。
その中で、結局自分の経験したものしか書けないと気が付いたこと、そのことによって自由になれた気がしたと語ってくださいました。

↓残念ながら諸事情により参加できなかった水墨画家の水口さんの作品。
ステートメントをご住職、和尚に提出しました。

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最後に、この発表たちを見守ってくださった小菅住職、横山和尚に感想を伺いました。

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小菅住職「自由とは何か、という問いに向き合って作品を作ってくださいましたが、かえって自由に縛られてしまっていた部分もあったのかなと感じました。でも、そもそも自由という言葉は不自由の中にいるからこそ出てくるものなので、不自由の中に自由を見つけて、それにとらわれてまた不自由になって、という繰り返しの中、ご自分の表現を極めていっていただけたらと思います。普段のお寺とは全く違うことが起こっていてただただ楽しかったです。」

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横山和尚「自由について考えるということは、自分自身と向き合うこと。皆さんがそれぞれ自分と向き合って、ご自身の表現手段に落とし込んでいたことはとてもよかったと思います。」

そして最後は飯山市文化交流館なちゅらに戻り、それぞれに感想を伺いました。
お題をもらって何かを作る、ということが今までなく、その経験が面白かった、色んなジャンルの人の表現の表と裏を見られたことがとてもよかった、などという感想をいただきました。

またどこかで、と解散。別れを惜しみつつ、また一緒に何かやりましょう、という声が方々で聞かれ、良き交流となってよかったなあ…としみじみ感じました。

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今後の皆様の表現者としてのますますのご活躍をお祈りしております!
お疲れ様でした!
(文:加藤亜弓)


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