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今でこそ魚を犯人扱いしていますがね

昨日は長年水俣病に関わる緒方俊一郎医師と共に車を走らせ、県外の患者さんのところまで往復9時間の旅をしました。
到着するとご高齢の、上品なご夫婦が出迎え「わざわざ申し訳ありません」と恐縮され、こちらも恐縮。長年水俣病の症状を持ちながら暮らし、数年前にようやく認定申請しましたが、しかし「家族に認定患者がいない・漁業従事者がいない。症状は水俣病以外の病気が原因」を理由として県から棄却通知が届き、いま再申請をしようとしています。
診察を始める前に改めて、どういったところで育ち、どのような症状をお持ちかお尋ねしました。戦後の食糧事情は最悪であり、隣近所の住民のほとんどが漁業を営み、三度三度の食事にはイワシ、ガラカブ(カサゴ)、ボラ、キス、チヌ、そして貝類を食べていたそうです。
「小さな畑で取れる野菜や芋と魚以外に食べ物はなく、今でこそ魚を犯人扱いしていますが、その魚で生命を永らえさせてきたのですから、不満を申し上げる筋合いではないということは分かっています」「世間では水俣病の話はできない」「誰かと水俣病の話がしたかった」。言葉の一つひとつが響きます。頭痛、めまい、手足のしびれ、感覚のにぶさ、こむら返り、視野狭窄、味覚嗅覚の低下、腰痛、体の痛み。。。
その後に伺ったのは、原爆の被爆者でもあるというお話。投下とその後の一部始終を経験しておられ、当時の生々しい体験をお聞きしました。被爆後、しばらくしてから不知火海の沿岸に越してきて水俣病の被害にあいました。
その後、ガンになられたときに主治医から「放射能の影響でガンになったかどうかは世界中、どの医者にも分からない」と言われたのに、被爆者手帳が使えることを不思議に思いながらも医者の言葉を信じ、関連性はないと思っていたそうです。診察をした緒方医師が「放射能とガンの関係はキュリー夫人の時代から分かっている」と言い、「福島では甲状腺がんになる子どもが増えている」と言ったのを聞いて、その方は「ニュースでは見ていたけれど、全く他人事だと思っていた」「同じことなのか」とショックを受けておられました。
そして今日もまた、「棄却を受けた」患者さんからお電話がありました。やっても、やっても先が見えないように思えます。
先が見えないように思えることを引き起こしてしまったのが水俣病事件です。そしてこの人たちを切り捨てる今の日本を支えているのは私です。先が見えなくたって、出会い続け、話を聞き続けていこうと思います。

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