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西部劇の根底に流れる悲しさ

西部劇は悲しい。

どうも観ている作品に偏りがあるのかもしれないが、西部劇は根本的に悲しいという印象が強い。

西部劇には、様々な世間体にがんじがらめにされている登場人物が多く出てくる。
一見自由でカッコよく見えても、アメリカの広大な田舎で「男らしさ」や「白人らしさ」に縛り付けられる苦しさが根底には流れている。

『ブロークバック・マウンテン』(05)はキングオブ悲しい西部劇だと思う。観た後、三日間くらい引きずるほど悲しい作品だった。

主人公二人は広大で自由で何もないアメリカの田舎の中で「男らしさ」に縛り付けられたまま、あまりにも苦しい最後を迎えてしまう。

西部劇の変化球的な問題作『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(21)もまた、ものすごい悲しさを根底に抱えた作品である。

主人公の一人であるフィルは本来の性格を押さえ付けて「男らしく」しなければと思い込んでおり、「男らしくない」甥のピーターにも同様に「男らしさ」を押しつけようとする。

しかし、実際のピーターはフィルの思い込みとは全く異なる性格で、フィルは裁かれることになる。フィルはピーターの見た目や振る舞い方で性格をレッテル付けしていたのだ。

今作の悪はフィルなのだろうか。
本当に悪いのはアメリカ西部に流れる「世間体」だったのではないだろうか。

訳あって「男らしさ」に固執せざるを得なかったフィルが最後に行き着く結末があまりにも悲しい。

西部劇はカウボーイたちの銃撃戦や乗馬などカッコいいイメージの根底に、アメリカの悲しさが流れている。


文・イラスト:長野美里

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