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【翻訳記事】『チ。-地球の運動について-』魚豊先生との出会い【韓国インタビュー】

自分の韓国語の勉強を兼ねて、WEB上の気になるエンタメ記事を翻訳してみます。※問題あれば削除します。
今回は、漫画『チ。-地球の運動について-』の作者、魚豊先生のインタビューです。

https://comicsdabansa.stibee.com/p/36/
문학동네という出版社の漫画編集部が発信するニュースサイトより(2024.5.29.公開記事)

誤訳ありましたら申し訳ありません。意訳はあります。


『チ。-地球の運動について-』魚豊先生との出会い

マンガ大賞2位、手塚治虫文化賞歴代最年少受賞、「このマンガがすごい!」連続上位ランクイン。このすべてのタイトルを獲得し、彗星のごとく登場した新人「魚豊」の代表作『チ。-地球の運動について-』が、第8巻で完結を迎えます。15世紀ヨーロッパを背景に、禁止された学説「地動説」を主唱するために動く人々の年代記を描いた『チ。-地球の運動について-』。韓国語版の完結とともに、今年はアニメの公開(マッドハウス制作)も控えています。『만화다반사(漫画茶飯事)』では今日、スーパールーキーの新人漫画家、魚豊先生に書面インタビューでお会いしました。壮大な大叙事詩を心に抱く97年生まれの先生の頭の中には、一体何が入っているのでしょうか?

※本インタビューは『チ。-地球の運動について-』(以下『チ。』)のネタバレが含まれます。

Q. 韓国のファンたちに、そしてインタビューで初めて魚豊先生を知る読者の方に、自己紹介をお願いします。

A. うおと(魚豊)といいます。漫画家です。インタビューの機会いただきうれしいです。韓国の読者の方に私の作品を読んでいただいているなんて、光栄です。

Q. (韓国では24年5月『チ。』の最終巻が出版されますが)日本では『チ。』が完結してからいつの間にか2年がたちます。今年、アニメ放送を控えていると聞きましたが、原作者として一足早く視聴したのでしょうか。現在はどのような心境ですか?

A. 2年前に完結した作品が、アニメとしてまた作られるのは、本当にうれしいです。「絵が動く」というのは、漫画とはまた違った、特別な魅力があると感じました。そして何よりも音楽がすばらしいです(主題歌もOSTもです)。これもアニメならではの魅力だと思うので、その時がきたら、読者の方たちにも、ぜひ聞いてみていただけるとうれしいです。

Q. 日本の雑誌『POPEYE』に載った、先生の書斎の写真を見たことがあります。普段から、創作のための資料調査に時間と努力を惜しまないことが如実に表れた書斎でした。漫画を描いていない時は、どのように時間を過ごしているのですか? 作業ルーティンや趣味など、先生の日常が気になります。同じく注目されている新人作家も多いですが、普段親しく交流する漫画家もいるのでしょうか?

A. 仕事と切り離した趣味がないので(それが私の短所だと思いますが)毎日本を読んだり、映画を見たりして過ごしています。消極的な性格なので、他の漫画家さんたちとプライベートで会うことはほとんどないですかね。

Q. 初投稿作からしばらくはギャグ漫画を立て続けに描いていますよね。『チ。』の重々しい雰囲気を知っているので初めは驚きましたが、作中の人物たちが息詰まる舌戦をしている中にも、笑いを誘発する場面があることをすぐに思い出し、納得もしました。過去の創作の経験が現在の創作に、どのような影響を与えていると思いますか? セリフ、キャラクターなど、先生が漫画創作において重要視する点や、自分の「武器(長所)」と考えるものは何でしょうか。

A. 過去の全てのことから影響を受けていると思います。振り返ってみれば、ギャグ漫画を描いていた時も「他人から見たらどうでもいいことを、本人たちだけが真剣に取り組む」という状況をユーモアとして扱いました。それを追求して発展させた先に『100えむ。』『チ。』『ようこそ!FACTへ』(韓国未発売)という作品が生まれたのだと思います。本質的には同じ主題を繰り返し描いています。

漫画創作で重要視することは、「問題提起の方向性と価値の付与」です。その問題が自分や他人、ひいては社会にどのような問題を提起するのか。それを通してどのような答えに近づこうとするのか。そんなことなどに重点を置いています。

Q. 初めて『チ。』1巻を読んだ時の衝撃が今でも鮮明に思い出されます。1部の主人公「ラファウ」は神学者になることを夢見ていましたが、偶然にも地動説の美しさを知り、結果、死ぬことで自分の信念を受け継いでいこうと決心します。主人公だと疑いなく信じていた「ラファウ」の死から初めて『チ。』という大叙事詩は動き出す。漫画の革新的な思想を主張をする人物を早々に殺して始まる漫画だなんて!と。こんな展開を思いついたきっかけが気になります。

A. 大きな変化が起こる時は、ひとりの天才が全てを動かすのではないという実感があるからです。さまざまな人がさまざまな場所、さまざまな時間軸で、さまざまなことをする。それが全部連なった末に変革が起こるのだと信じています。このような時空間を越える「協業」が人類の素晴らしいところだと思うので、ある主人公ひとりが推し進めて時代を動かすのではなく、複数の主人公が登場する、今のような構成の物語になりました。

Q. (※最終巻のネタバレ)1章の「ラファウ」、2章の「オクジー」、3章の「ヨレンタ」、4章の「ドゥラカ」、そして最後の章の「アルベルト」まで。『チ。』では各章ごと、異なる信念を持って地動説を主張する人たちが登場します。作品を描きながら一番心が動いた人物はいますか? 多くの漫画家たちが「自分が予想できなかった方向に人物が勝手に動く」と言いますが、思い通りに動かない人物もいたのでしょうか。

A. 私の場合、キャラクターがひとりで動くことはありません。話をA地点からB地点に運ぶためにキャラクターを設定することが多いです。それでも、あえて挙げるなら、話の冒頭と終章に繰り返し登場する人物、ラファウでしょうか。なぜなら「ラファウ」という固有名詞が現実を離れ「概念」として機能するからです。1章のラファウが持つ「英優性」を破壊するのが終章登場するラファウなのですが、ふたりは別人であると同時に同じ人なので、ひとつの「名前」の下で、異なる価値観が両立する演出が可能でした。漫画なりの独特なリアリティーを追求できた点で記憶に残っています。

Q. 『チ。』というタイトルは、いろいろな意味が込められています。話の骨子は「地動説」ですが、知識への熱望、暴力の必然性や不条理などに話が展開し、タイトルに込められた意味もやはり拡張していきます。このような構造は、連載初期より想定していたのでしょうか? 描いているうちに生まれたのでしょうか。

A. 初めから念頭に置いていました。追加した設定は、特にないですね。ですが、ラファウ編のコンテ2話はほとんど破棄しました。理由は単純で、全く面白くないからでした。

Q. (※最終巻のネタバレ)この漫画は印象的なセリフや場面がたくさんありますが、最終巻を編集しながら印象に残ったのは、ノヴァクの最期でした。「今、たまたまここに生きた全員は、たとえ殺し合う程憎んでも、同じ時代を作った仲間な気がする。(84ページ)」『チ。』ではオクジーとバデーニ、ヨレンタとドゥラカなど、異なる価値観を持つ人が対立した後、人生のターニングポイントを迎えます。ノヴァクのように結局死ぬまで、分かり合えなかった人もいます。分断が深まっている現代社会では、自分と対立する存在に対して「仲間」だと感じることは、次第に難しくなっていると思う今日この頃です。どのような思いで、このようなセリフを書いたのでしょうか?

A. 本編で一番重要なセリフだと思っていたので、言及していただいてうれしいです。ありがとうございます。今を生きる私たちは、その誰もが、300年後を見通すことはできません。同じように、300年前の空気を吸ったこともないでしょう。そう考えると、(他の人たちを)同じようなタイミングで、ひとつの世界に入ってきた「ルームメイト」のような存在だとたびたび感じるのです。

私たちの世界は閉ざされています。同じように自由の制約を感じ、同じような運命の下に置かれているんですよね。だから、今、この時代を生きている皆を仲間だと思えないこともないです。互いに死んでも、いつかは悠久の時間の相対性に押しつぶされ、世を去った当事者は、やがて歴史の登場人物になる。そういう気持ちでこのセリフを書きました。

Q.『チ。』で、一番楽しんで描いた、または一番苦労して描いた場面はあるでしょうか。自身で『チ。』という漫画を代表するひとつの場面を挙げるならどこでしょうか?

A. 漫画の中で空を見上げるシーン全てを挙げたいです。その行為が人間にとって本質的で重要なことだと考えます。

Q. 『チ。』は、現在から約600年前という時代設定にもかかわらず、現在の私たちに響くセリフがいくつも登場します。登場人物もやはり、ソクラテス、アリストテレスのような、はるか昔の人物たちが投げかけた人間の存在に対する根源的な問いに共鳴します。最近、魚豊先生にこのように響いたことはありますか? 次回作の手がかりになることもあるのでしょうか。

A. ロシアの文学理論家、ミハイル・バフチンの著書『小説の言葉(Слово в романе)』の中にあった「言葉は過去に蓄積されたものだけでなく、未来の反応を予想し、それに制限を受ける方式でも形成される。つまり言葉は過去と未来のジレンマの中に作られる」というニュアンスの表現です。私なりにバフチンの言葉を再解釈したものなので、本の中の表現をそのまま引用したわけではありません。

普通、言葉は過去が蓄積して生まれ、発話されると考えられがちですが、未来に対する心配や期待も含まれていて、そこから出てきたのが「生きている言葉」だという定義が、とても心に響きました。ここから「言葉」が持つ、優しい力に気づきました。

他人(未来)を意識しない言葉というのは、人間にとって自然ではないのかもしれません。(もちろん独り言のようなものもありますが、それはコミュニケーションのための言葉ではないので、ここで言及した言葉の意味とは少し異なる概念です。)他人を気にせず何でも吐き出す行為は魅力的で、時には独創性もあるでしょうが、それは言葉が持つ本来の力ではありません。むしろ他人を念頭に置く人が発する言葉、そんな言葉が内包する構造そのものに注目する時、ある種の希望を構築できると思いました。それが最近、最も感銘を受けて、また共鳴した経験です。このような考察が次回作にも反映されそうです。

Q. 思わぬ返事に、早くも次回作が楽しみです。『100えむ。』では陸上スポーツを、『チ。』では信念の対立を、『ようこそ!FACTへ』では愛と陰謀論を描いています。他の作品で扱ってみたい素材やテーマはありますか?

A. あります! まだお知らせできることはできませんが、どうぞお楽しみに!

Q. 最後に『チ。』 を読んでいる、そしてこれから読む韓国の読者たちにメッセージをお願いします。

A. 私の作品を海外の読者の方たちが読んでくださるなんて、まだ夢のようです。すべての国にはそれぞれの歴史があって、そこから個人のアイデンティティが生まれます。それが文化の素晴らしさで、人間が大切にすべき能力だと考えます。しかし同時に私たちは「物語」を通じて誰にでもなれるし、どこへでも行くことができます。異なる歴史を経験し、異なる人の人生を生きることができる。このような自由も人間の大切な能力だと思います。だからこそ、物語の力で皆さんとつながることは、漫画家として、人間として、この上ない喜びです。今後も私の作品を愛していただけるとうれしいです。それでは! 次の作品でお会いしましょう!


個人的に『チ。』が好きで、『ようこそ!FACTへ』も楽しく読んでいます。魚豊先生の出演されたラジオもお聞きしたことがありますが、さまざまな問題に関心があり、バランス感覚に優れた方だな~とますますファンになりました。『チ。』のアニメも楽しみ!

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