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中学数学 累乗の説明における論理国語の稚拙さ 高校数学 べき乗 0乗 マイナス乗では通用しない

なぜ 0乗は1なのか?
なぜ -(マイナス)乗は 1/$${x^n}$$ になるのか?
中学校の数学で累乗を習った生徒が高校入って数学のべき乗で疑問を感じるのはある意味当然で、中学時代の累乗 $${x^n}$$ の説明自体に欠陥、稚拙さがあるからです。
実際、0乗においても -(マイナス)乗においても通用する端的な $${x^n}$$ 累乗・べき乗の説明、論理国語に基く説明はほとんどなされていません。

例えば以下の説明などが典型。
>a×a×aのように繰り返し同じ数を掛ける場合に、 $${a^3}$$ のように繰り返し掛ける回数を掛ける数の右上に表記する
こうした説明では 1乗ですら通用しません。
0乗や -(マイナス)乗の場合に、「0乗とはそういうものだ」「-(マイナス)乗とはそういうものだ」といった形で統一的な論理に基かない例外の個別押しつけ的な説明をすることは、数学の美しさ・論理性を損なうものであり、「掛け算順序」よりよっぽど本質的な意味での「数学嫌い」を生み出す教育となります。

「掛け算順序」を蔑ろにする中で論理国語の重要性を解さずに稚拙な表現を平気で用いている必然的因果として、非常にルーズでアバウトな数学説明、「累乗」「べき乗」の説明により無用な困惑・混乱を招いている例が非常に多いのが現状です。
もちろん、中には的確に論理国語を用いて緻密で統合的な「累乗」「べき乗」の説明をしている例もあるものと思います。そうした師に教わる生徒は非常に恵まれていて幸福なことと思います。

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