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【ミニ小説】ソラーナの白インゲン豆 〜Racconti italiani イタリアのほんの小さな出来事〜

「散骨してきた」微笑みを浮かべながら、テルミニ駅のホームでタキが言う。その日フィレンツェから到着した特急は満員で、座席指定をとっていても、車内に持ち込むだけで大変な重さのキャリーバッグを引きずっている彼女。「重いでしょう。手伝おうか」「いいえ、持っていたいんだ。迎えに来てくれただけで御の字よ」

タキの母親タエコさんが亡くなって三か月。遺品を整理している時に出てきた箱の中に「ソラーナの白インゲン豆」のラベルが沢山あったことから、今回休暇をとって、その地に行ってみたのだ。病院のベッドから起きられなくなっていたタエコさんが「私の灰、ほんの少しイタリアに散骨してくれないかなあ」と漏らした言葉が気になっていたからだ。イタリアのどこともいわずに逝ってしまったので、もしかしたらと、その袋の地を訪問する気になったのだという。

「どんなお母さんだったの」
「イタリアが好きでね、結婚の条件が、学生のころの夢だった絵画の修復を学ぶためにフィレンツェに行かせてもらう事だったんだって。だから私が17歳の時に一年留学しているのよ。うちは画家の父の好みで山の中に住んでいて、庭にピッツア釜があってね、人が集まると母はそこで肉を焼いたりしてたわ。そんな時に必ず作る料理があったの。白インゲン豆を水と一緒にフラスコ型の瓶に入れて横に置いておくとね、時間はかかるんだけど柔らかくなってとっても美味しいの。」
「それで、ソラーナの豆の袋の謎は解けたの」「うん、割と簡単にね」

ソラーナはルッカから北西に90キロ位行ったところにある、歩いて横断しても5分とかからないような小さな村だ。何しろ住人は130人ほどしかいないのだから。ローマからフィレンツェへ間は新幹線に匹敵する特急があるが、その先はバスを乗り継いでいかなければならない。まずぺーシャに行って、そこからソラーナ行きのバスに乗って。

その日、タキが到着したのは昼食時になっていた。まずは腹ごしらえと、たった一軒あるトラットリアを探しあて、席に着いた時だった。赤々と燃える暖炉があり、そこで焼かれていた肉の横に、彼女の家にあるのと同じフラスコ型の瓶が並んでいたのだ。もちろん、真っ先にそれを注文。
ひと段落して、店の娘に母の写真を見せ「この人を知らないか」と尋ねてみた。しばらく考えていた彼女は、思いついたようにタキを店の一角にある、写真を貼った壁の前に連れて行き、「この人じゃないですか」。そこには確かに留学当時の母が、イタリア人男性と仲良く写っているではないか。他にも何人もの人と乾杯をしている写真、山頂での写真などが。見たことのない母の笑顔を突然見せられて、躊躇するタキ。するといつの間にか、その写真の男性が後ろに来ていた。こんな小さい村なので、何をするにも簡単で、さっきの女性が呼んでくれたらしい。

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